学校・支援機関・家庭の間で、保護者だけが立ち続けていると感じたとき

不登校となったとき、
一番支えなければならないのは
子どもなのはもちろんですが、
特にお母さん(お父さん)を
いち早く支えることが
子どもの回復には必要です。

当事者家族になってみないと
わからない心労がたくさんあるからです。
今回は、さまざまな”板挟み”になって
しまうご家族のお話です。

学校からの電話に出て、
支援機関の予約を取り、
家では子どもの様子を気にかけ続ける。

不登校が始まると、保護者はいつの間にか
「全部をつなぐ役」になっていきます。

母親は、
「学校からの連絡は、
私が受けないと話が進まない」
と感じ、昼間の対応を一手に
引き受けることが多くなります。

父親は、
「仕事中に連絡が来ても動けない」
「夜に話を聞くと、
もう決まった話になっている」
という疎外感を抱えることがあります。

さらに祖父母から、
「学校には行かせたほうがいいんじゃないか」
「昔はそんなことで休まなかった」
と言われ、間に立って
説明する役を担うこともあります。

このとき、保護者は
三方向から同時に引っ張られる状態になります。

  • 学校には協力したい

  • 子どもの状態も守りたい

  • 家族関係も壊したくない

どれも大切だからこそ、
「自分が頑張れば何とかなる」
と踏ん張り続けてしまいます。

でも、これは個人の問題ではありません。
不登校の初期は、
構造的に保護者へ負荷が集中する時期です。

すべてを調整しきれなくても、
失敗ではありません。

祖父母さんに、「なんで行かせないの?」
と言われても、一言ひとことに
対応しなくてもいいかもしれません。
みんな、心配している気持ちがあるから
いろいろと言うのですが、それは、
当事者のご家族にとってストレスになったり
心をざわつかせるものだとしたら、それは
ノイズでしかありません。
雑音なのです。
しょせん当事者に接触も限定的ですし、
当事者家族でもありませんから。
少し意地悪な言い方をするなら、
言うことで、心配しているということを
伝えたい、ある種の自己満足なのです。
そんなことに尽き合う余裕はありません。
今、本当に向き合うべきは、当事者の子どもです。

少ししんどい。会うのがなんとなく嫌だと
思うようになってきたとしたら、
今は、
「全部を回さなくていい段階」
に来ているのかもしれません。

調整役として立ち続けている感覚が強いとき、
まずはその負担を言葉にする場があります。
役割を少し減らす整理から始めても大丈夫です。

ご相談は、
不登校・ひきこもり相談支援センター
(フリースクール地球子屋)へお願いします
http://terakko.org/

「まずは病院へ」と言われ続けた末、親子が疲れ切ってしまったケース

https://note.com/terrakoya/n/n1241f4bc6aff?app_launch=false

不登校の子どもたちが
学校に行かなくなって、
平均約2か月で病院を受診する
と言われています。
ところが、フリースクールに
コンタクトをとるのは、平均
約1年数カ月です。
この差が、子どもの回復を遅らせる
と考えています。

不登校が始まってしばらくすると、
周囲から「一度、病院に行ったほうがいい」
と言われることがあるのは事実です。

この家庭でも、
朝の腹痛と頭痛が続いたことを
きっかけに受診しました。
医師からは
「大きな異常はないですね」と説明され、
「様子を見ましょう」と言われました。

異常はないという結果には、
ご家族も安心されることでしょう。
とはいえ、状況は変わりません。
一時的に安心したその束の間、
別の相談先では
「早めに対応したほうがいい」
学校からは
「医療的な見立てがあると助かります」
と言われ、どう対応したか迷いが
出てきます。

ご家族に再び不安が強まり、
家庭内に緊張感が漂います。

保護者は、
「もう一度、受診をしに行かないと
いけないのか」
「でも、行っても何も分からなかった」
という板挟みに陥ります。

結果として、
何度も受診を重ねるうちに、
子どもは
「また説明しなきゃいけないの?」
と疲れ果ててしまいます。
体調不良を訴える頻度が
増えていきました。

後から振り返ると、
保護者はこう話しています。

「病院に行ったこと自体が悪かったわけじゃない。
でも、“行けば安心できるはず”と期待しすぎていた」

医療は、判断材料の一つです。
病気や障がいなどあれば、それは治療と
しなければなりません。
ですが、生活全般含め、子どもの対応の
すべてを決めてくれる場所ではないのです。

この家庭では一度やみくもに受診することは止め、
体調が崩れる時間帯や前後の出来事を記録し、
情報を整理する期間を取りました。

そのことで、
「何が分からないのか」
「何に困っているか」がはっきりし、
次に相談するときの軸ができました。

ご家族がどう対応してよいか分からないため
何かしら、あるいは誰かからの助言を
求めるのは当然のことでしょう。
ですが、医療機関は、「不登校」の専門機関
ではありません。あくまで病気や障がいに
ついて診断や治療を行うところなのです。

医療機関だけではありません。子ども相談室
のような相談機関も、もちろん子どもに関する
相談全般を受け付けるわけですから、不登校に
ついても話は聞いてくれるでしょう。
しかし専門でもなければ、当事者でもないのです。
当然ながらそこから出てくる助言は、教科書に
載っているような当たり障りのない回答となります。

「不登校」とは、本当に幅広い分野を横断的に関わり、
かつ子どもの状態の1つとしての深い理解が必要
です。未だ不登校とは何かについて、専門家の統一
した見解などありません。(文科省の定義はあります)

ですから親の会のような同じ境遇のご家族との話の方が
ヒントになることが多いことは確かでしょう。
それ以上に不登校の状態は一人ひとり異なることから
長く不登校に関わっている人と話をすることが有効な
方法の1つです。


病院に行くかどうかで迷い続けているとき、
その迷い自体を整理する相談もあります。
判断を急がせない整理から始めてもかまいません。

ご相談は、
不登校・ひきこもり相談支援センター
(フリースクール地球子屋)へお願いします
http://terakko.org/

子どもが話してくれなくなったとき、親の頭の中で起きていること

 

「最近、ほとんど話してくれなくなった」
声をかけても、返事は短く、目も合わない。
以前はあった雑談も消え、何を考えているのか分からないまま時間だけが過ぎていく。

心配して声をかければかけるほど、距離が広がる気がして、
かといって何も言わなければ、放っておいているようで落ち着かない。
多くの保護者が、この板挟みの状態で立ち止まります。

まず知っておいてほしいのは、
子どもが話さなくなったこと自体が「意思表示」や「反抗」とは限らないという点です。

話さない、答えない、反応が薄い。
これらはしばしば、
「話せない状態」「言葉にすると自分が崩れてしまいそうな状態」
として現れます。

子どもは、大人ほど自分の状態を整理できません。
不安や緊張、失望や混乱が重なると、
言葉を出すこと自体が負荷になります。
結果として、沈黙が一番安全な選択になることがあります。

このとき、保護者の頭の中では
「何があったのか知りたい」
「原因を突き止めたい」
という思いが強くなります。
それは自然な反応です。

ただ、問いを重ねるほど、
子どもは「答えられない自分」を意識し、
ますます口を閉ざしてしまうこともあります。

ここで大切なのは、
話させることより、話せない状態を否定しないことです。

沈黙は拒絶ではなく、保留かもしれません。
今は言葉にできないだけで、
関係そのものを断ちたいわけではない場合も多くあります。

無理に会話を成立させようとせず、
同じ空間にいる、同じ時間を共有する、
それだけで十分な関わりになる時期もあります。

「話さない=何も進んでいない」
そう感じてしまうと、親の焦りが強まります。
けれど、内側では整理が進んでいることもあります。

もし今、
どう関わればいいか分からなくなっているなら、
一人で抱え続ける必要はありません。

誰かと一緒に状況を言葉にし、
「今はどの段階なのか」を整理することで、
次に何をしなくていいかが見えてくることもあります。

フリースクールや支援の場も、
今すぐ通うための場所ではなく、
考える材料を増やす選択肢の一つです。

ここまで読んで、「うちの子のことかもしれない」と感じた方へ。
行動の背景を一人で考え続けるのは、とても消耗します。
すぐに何かを決める必要はありませんが、
今どの状態にあるのかを一緒に整理することはできます。

ご相談は、
不登校・ひきこもり相談支援センター
(フリースクール地球子屋)へ
お願いします。
http://terakko.org/

相談して「見守りましょう」と言われたけれど

 ある日、「学校に行きたくない」「行かない」と子どもさんに言われたとき、ご家族は少なからず衝撃を受けたり、怒りにも似た気持ちになったり、不安が押し寄せたりするのではないでしょうか。

ご家族として、一生懸命原因を探ったり、登校できるように促したりなどできることはなんでもしたいという気持ちで取り組まれると思います。
そういった最大限の努力をされたとしても、子どもの登校にはなかなか結びつかないので、どうしたらよいか分からなくなります。

そこで、最初の1ヵ月以内では本やインターネットで調べる、2か月以内には知人や相談センターへ相談する、3か月前後で病院に受診すると言われています。
本やインターネットでは、情報が玉石混合であって1人ひとり異なる不登校の状況にピッタリ合うような対応方法はなかなか出会わないのではないでしょうか。帯に短し、襷に長しとはこのことです。この段階でも、見守ることが一番というフレーズには出会うことでしょう。

知人や相談センターで話をして、よく言われるのが「今は、見守っていきましょう」と高確率で伝えられます。この助言、決して間違いではないのですが、不登校の保護者のみなさんには、その意味するところが分からないので、よけいに焦ることになります。
病院では、自律神経が、、的なことを言われ、生活習慣を規則正しく、とか睡眠がしっかりとれるように、スマホ、SNSは適度になど言われます。それができれば苦労はない、という本音が聞こえてそうです。

保護者としては、できることをしてあげたい

 不登校になった時、一早く対処して登校できるようにしてあげたいと考えてしまうのではないでしょうか。となるとすぐに効果のある特効薬的な何かをついつい探してしまいます。
そんな時に、「見守りましょう」と言われても、納得できるはずもありません。それではズルズルと休みが続いてしまうのではないか、と不安が逆に大きくなってしまうのです。
そのような状態になるのは、決して望ましいものではないはず。ということで、もう少し違うアプローチが必要なのです。
地球子屋としては、1人ひとり不登校になる原因や過程は異なることが多いということを前提に、身体に起こる変化をお話します。心や気持ちは本当に1人ひとり異なります。ところが身体に起こっていることには共通点が多いのです。そしてそれはきちんと医療機関などで調べれば画像や数値としても現れやすい。
不登校は、子どもの気持ちや考えがもとでなっていると長い間考えられてきたので、気持ちや子どもの考えはどういったものかとあーでもない、こーでもないと議論がされてきましたが、それは1人ひとり違うという結論以外何も得られないです。その意味では、少し不登校についてご家族が学んでもらわないと分からない部分が多いのです。不登校の理解なくして、ご家族のできることはなかなか見えてきません。

「見守りましょう」をわかりやすく言うと

 さて本題ですが、見守りましょうは読んで字のごとく「見る」と「守る」の2つのことをしていきましょうと言ってます。
しかし「見る」は視界に入ったものを見るということですが、それだけでは効果的ではないかもしれません。単に見るのではなく、観察する、しっかり「観る」ということです。
例えば、よくご家族がおっしゃるのが、「家ではゲームとスマホばかりしてます」とおっしゃります。そこで、「どんなゲームですか?」と必ず聞きますが、「よくわかりません」という答えをよく聞きます。少し厳しい言い方になりますが、それでは「見て」いるのですが、「観て」いないのです。
不登校になったことばかりに気持ちがとられてしまい、子どもさんのことに目が向いていないのかもしれません。それも無理もないことではありますが、今できることはよく観察することなのです。もっと言えば、ゲームのタイトルだけわかっても観ていることにはなりません。そのゲームをやり始めたばかりで上手くできていないのか、ある程度ゲームに慣れてきた時期なのか、ずいぶんやりこんできてネッ友ができたり、課金したいなと考えている時期なのか、さらにプレイ時間が500時間とか1000時間とか超えてきてゲームの世界の中での自分の位置がどの程度かある程度わかってきた時期なのかなど、一口にゲームをしているといってもいろいろな段階があるのです。観察をするというのは、そういうところまでしっかりと関心をもって観ることです。
そんなことに何の意味があるのか?とおっしゃる方もいるかもしれません。間違いなく子どもさんとゲームの話ができるようになります。どこは上手くいって、どこは上手くいっていないのか、どんなに努力しても敵わない人がいるとか、話ができます。それがアニメの話なのかもしれません。youtubeの話なのかもしれません。よく観察すればいろいろな事が、そんな話題からでも子どもさんの様子がわかるようになります。

守るのは、安全のため

 もう一つの言葉、守るも漢字で正確に書くとすれば「護る」だと強く言いたいです。
学校がストレスが非常に強くて、さらに言えば危険な場所と言ってもいいかもしれません。子どもさんにとって、そういう状態になっているところから離してあげることがストレスから逃れる手段になります。
学校から、というのが違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。言い方を換えれば、ストレスから「護る」といってもいいでしょう。
危機・危険と身体が感じている状態から脱するには、安全な環境にすることなのです。まずは家の中だけでもそのような環境にしていくことがご家族ができることで最大限の効果があります。
安全な環境になれば、当事者の子どもさんは、安心します。安心すると身体はリラックスできますので、自然に自己治癒力が発揮できるようになります。不登校の子どもさんが元気になるコツは、ここにあるのです。
ですが、どうすれば安全な環境をつくることができるのか、それもまた奥が深く、難しい問題があります。ご家庭の中での最大のストレスは、ご家族との人間関係になります。つまりはご家族が不登校について学んでいただき、理解を深めないとなかなか変わらないということです。

見守るだけでない、まだまだたくさんあります

 不登校・ひきこもりの対応として、ご家族ができることはたくさんあります。学べば学ぶほどできることはたくさんあるのです。世の中にはたくさんの専門家がいて、いろいろご家族のために支援したい気持ちもあって動いています。
そういう人たちの支援を受けたいと思えば、もちろん活用すればいいし、おおいに活用してほしいという気持ちもあります。
ですがご家族が学ぶだけで、一気に関係が変わるのも事実です。
地球子屋で「不登校 学習会」を毎月1回続けていますが、本当に書いてあることをその通り実践しただけで、子どもが元気になった、関係が変わったとおっしゃるご家族が次々とあらわれています。
もし学んでみたい、地球子屋ではどのような対応をしているか知りたいという方がいらっしゃったら、遠慮なくご連絡いただければと思います。
SNSが発達し、場所を問わずご相談できる時代です。ぜひご活用いただけたらと思います。
もしアクセスしたい方は、地球子屋HPからどうぞ!
http://terakko.org/

10/7お金について子どもは何を知っておくべきか

10/7小中学生にお金、経済の仕組みについて行いました。生活するためにお金が必要なのは理解できますし、お金持ちになりたいと漠然と思っている子どもも少なからずいます。しかし自分が雇用されて給料ももらう人が大半で、事業、債券、不動産へ投資する感覚を持っている人はいないのではないでしょうか。もちろん投資にはリスクがあることも、負債(支出)が悪いわけでもありません。その全てを一度の体験で伝えることは難しいので、様々な機会で体験を重ねていくしかありません。お金を稼ぐのも使うのも社会とのつながり、影響を考え意思をもって行ってほしいと思います。

10/12(土)フラッグハント交流会で楽しもう

早くも10月のフラッグハント交流会が週末にせまってきました!!
9月は子どもたちだけのチームがNo1チームとなりました。そのときどきで集まった即席のチームでしたが素晴らしいチームワークでした。
10月12日も楽しく交流しましょう!
フラッグハント交流会
10/12 13時~16時 熊本県民総合運動公園体育館

10/2 遊びや体験が学びの土台をつくる

10/2 これも立派な学びです。地球子屋名物のボードゲームの中でも昔からあるスコットランドヤードです。怪盗Xを警察5人が捕まえるスリリングなゲームです。怪盗Xは、警察の動きを読みながら逃げます。警察は時々通報されるXの位置から包囲網をつくっていきます。論理的に考えつつも、人間の心理の読みあいが面白いのです。考える楽しさとはこういう体験でこそ培われますよね。このあと、もう1つみんなでお話をつくっていくテーブルトーク・ロールプレイング・ゲームをしました。話はとある殺人現場を調査するところから、話はとんでもなく展開して爆弾に全員が巻き込まれ、あわや全滅の危機!と思ったら・・・という話でした!どうなるか分からない展開をみんなで一緒につくっていくのは本当にクリエイティブですよね!

10/1 勉強しなさいと言わずとも、子どもは気づく

10/1 フリースクール地球子屋では、何かを学びたいという気持ちを応援しています。そのきっかけとして様々な体験活動をたくさんしています。その成果なのか、最近高校進学した子たちが「簿記」「色彩検定」「数学基礎」などを自分から進んでやっていまーす!と報告してくれるのです。嫌だ、メンドクサイと言っていて過去の姿はどこにもなく、学びは自分のため、未来のためだと気づいている様子が伝わります。そしてそんな先輩たちの姿に触発されて中学生が自ら学習したいと言い、その影響から小学生もやりたいと言うのです。体験重視の生活から学び方を学ぶという段階へとシフトしていることがわかる瞬間でした。同じ学年でも何を学ぶかの選択が違えば、違う個性となっていく。自分をつくるのは自分だと受け入れていくことが学びの本質なのです。

9/30 社会的自立とは、社会と自分がつながるプロセス

9/30 子どもにどのような教育をすればいいのか、曖昧になっています。逆算して考えると最終的には社会を自分なりに理解して、自分が社会とつながる目的を見いだすこと、そしてその目的を誰と、その環境下でどう実現するか。つまりは社会の中で行動できるか。行動できるかどうかは身体知(知識と技能が一体となり、自然体で行動できること)の獲得です。今の学校教育で最も育てることが難しいのです。学校が実社会から隔離されており、身体知が獲得できないからです。身体知の獲得には時間がかかります。1回やったからできるというものはほとんどなく何回も繰り返さなければ体が覚えるということはありません。しかも科学技術が進んだことで、昔以上に身体知の獲得は数年以上かかる場合が多くなりました。法律が変わり18歳から大人となりましたが、一部の職業では長い期間かけて知識、技能を獲得していかなければならないかもしれません。人生80年から人生100年時代です。その分、「子ども」として養育しなければならない時間も長くなりました。かつては会社に入ってから、会社が育成していました。今はそんな余裕が会社にはありません。だからプロジェクト学習を行って身体知の獲得が必要なのです。しかし教授スキルも学校環境もプロジェクト学習をする場にはなっていないのです。ここから言えるのは、未来の学校は8~10歳くらいまでは基本的に家庭や家庭から近くの子どもの居場所のようなところがメインになります。人類の歴史的な発展をなぞり自然体験、生活体験、社会体験をしっかりしなければなりません。そして子どもの興味や関心の度合いごとに学び方を学ぶのが10歳~18歳くらいまでです。そして17歳~24歳くらいまでがプロジェクトベース学習で社会とつながるような取組をたくさんします。その間に働く必要のある子どもは、週2,3日働くことも可能です。そしてプロジェクトで培った人間関係とプロジェクトの実績などから総合的に仕事を見つけていくのですが、この体験、学び、プロジェクトのサイクルはいつでもやり直すことができることが理想的です。そして人材の流動性を高め、いくつかのプロジェクトベースでの仕事を組み合わせながら経済的にも精神的にも自立する形を模索していくようなイメージをもっています。みなさんの人生をつくるイメージは、どんな感じはどんなものでしょうか?

子どもに寄り添う大人がいる場所=フリースクール地球子屋です

9/30 日々の生活が学びです。学校生活は、時間を守る、先生の言うことを聞く、他の人に迷惑をかけない、目立つようなことしない、自分の意見よりその場の雰囲気を重視するなどを学んでいます。自分の感情や意見を押し殺して、周りばかりを重視する生活でストレスが溜まるのは当然です。しかし先生もまた同じ環境なので、学校という場ではそれが当たり前だと思っています。
それでは自尊感情は育ちません。責任感も育ちません。それでも景気が良くて、なんとなく就職もできていれば満足だったのかもしれません。高度成長時期に青年だった人たちは、本当に羨ましいです。そしてこのような価値観の残渣だけが残り、子どもは、生活する力を軽んじて勉強さえしておけばよいという風潮がある気がしてなりません。子どもに必要なのは、一緒にいる大人です。大人の背中(行動)を見て、子どもは育ちます。
生活が学びと考えた時、先生も、保護者も多忙になりすぎて子どもと向き合う時間が無くなっています。寄り添う大人が必要なのです。だから子どもの居場所、つまり寄り添う大人が居る場所が必要になったのです。