昼前、ベランダに洗濯物を干しながら、つい「前は自分でやっていたのに」と思うことがあります。
上履き袋やハンカチを見ていると、少し前までの生活が自然に思い出されます。
できていたことが、今はできない。その差が、日々の小さな場面で何度も目に入ります。
不登校の初期には、この「前はできていたのに」が、保護者の心をとても揺らします。
以前は起きられていた。
支度ができていた。
宿題もしていた。
友だちと話していた。
先生にも返事をしていた。
それが今はできない。
この変化に直面すると、保護者は「何が起きたのか」を知りたくなります。
原因を探したくなるのは当然ですし、どこから立て直せばいいのかと焦るのも自然です。
けれど、「以前はできていたのに、できなくなった」という現象は、単純な後退ではないことがあります。
できなくなったのではなく、“同じやり方では支えきれなくなった”状態であることもあるのです。
この違いは、とても大きいと思います。
違いについて、もう少し具体的にある子どもの例で示してみましょう。
これは、小学生女の子の場面です。
少し前までは、自分で時間を見て着替え、ランドセルを背負い、多少ぐずっても学校へ出ていけていました。
忘れ物はあっても、生活全体としては“学校へ行く流れ”が回っていた。
ところが、ある時期から朝の支度の途中で止まるようになります。
靴下を片方はけない。
鉛筆を入れるだけで時間がかかる。
玄関まで行って戻る。
保護者は、「前はこんなことなかったのに」と強く感じます。だからこそ、以前と同じように声をかけます。
「早くして」
「前はできてたよね」
「昨日はできたでしょ」
決して悪気があって言うのではありません。以前の姿を知っているから、そこに戻れるのではないかと思うのです。
けれど、その言葉のあと、子どもの手がさらに止まることがあります。泣く、怒る、黙る。その姿を見ると、保護者はますます混乱します。
担任の先生も「前は普通に来ていたのに」と感じていたそうです。
だからこそ、子どもの変化を心配し、何があったかを知ろうとします。
それは当然の反応です。
ただ、家庭では“以前の姿”が基準になりすぎると、今の状態を見誤りやすくなります。
同じ「できなくなった」でも、その背景は家庭ごとに違います。
それでも、不登校の初期の保護者が「前と違う」「戻そうとするほど難しい」と感じる場面として、できるだけ具体的に言葉にしてみます。
このような現象は、年齢に限らず起きるものです。次は実際に出会った中学生女子の場面について紹介します。
以前は成績も安定していて、提出物もそれなりに出していた。
部活動にも参加し、友人関係で大きなトラブルがあるようには見えなかった。
しかし今は、朝起きてもベッドから出られない。
学校のワークを開けない。
制服を見るだけで顔色が変わる。
LINEの返信も止まる。
保護者は、「あんなにしっかりしていたのに」と思います。
先生方も、「頑張り屋さんだから、無理をため込んでいたのかもしれませんね」となんとなく印象を話していたそうです。
本人は、以前の自分を一番よく知っているだけに、できなくなった自分への戸惑いが強いことがあります。
「前は普通にできていたけど、なんか今はどうでもいい」
「やった方がいいし、無理すればできると思う。でも身体は動かない」
その今の自分の状態について、
モヤモヤした気持ちがある、
どうにも説明できない、
動きたい気持ちもある。でも気持ちがついていけない
こういった考えがグルグルと頭の中に回り続けて、さらに動けなくなる。
保護者が励ますつもりで「少しずつでいいよ、前みたいに戻れるよ」と言ったとき、それが逆に
“なんか違う”
”ズレてる”
”前の自分に戻れない今”
を際立たせてしまうこともあります。
保護者は、毎日子どもの近くに居ることで、この変化が“理解しにくい”ところに、どうしていいか戸惑ってしまいます。
もともと苦手だったことができないなら、まだ理解しやすい。
けれど、以前はできていたことができなくなると、どうしても受け入れることができなくなり、何をどう見ればいいか分からなくなります。
ずっと成長し、できないことができるようになる姿しか見てこなかったため、狼狽えるのも仕方がないことです。
”怠けているわけではない”と頭では思っても、「そんなに難しいことは言ってないのに」「単にわがままを言っているのではないだろうか」と感じる瞬間もある。
昨日はできたのに今日はできない。夜は話せるのに朝は動けない。好きなことはできるのに学校のことになると止まる。
この不一致が、保護者に混乱をもたらし、消耗もしていきます。
そして「早く戻してあげたい」という気持ちが強いほど、以前のやり方をもう一度試したくなるのです。
声かけ、励まし、スケジュール管理、生活リズムの調整。どれも大事に見えます。けれど、それで動かないと、「何をすればいいのか」がさらに分からなくなります。
ここで、子どもの内側を少し違う角度から見る必要があります。
「以前はできていたのに、今はできない」というとき、子どもの能力が急になくなったわけではありません。
むしろ、同じ行動を起こすために必要な心身のコスト(エネルギー)が、今は非常に多く必要になっていると考えたほうが近い場合があります。
以前なら、朝起きて、制服を着て、教室に行くまでの一連の流れが、日常の中で回っていた。そこには多少の疲れや緊張があっても、処理可能な範囲に収まっていた。
けれど、ストレスを受けて緊張が続いており、疲労が蓄積していったり、孤独感が強くなり何をやっても楽しいと感じられない状態になったり、といった変化によって、毎日を頑張ろう、やろうという気持ちが維持できなくなっていきます。そうなると、その一つ一つの行動がが重い作業にしか見えなくなっていきます。
起きるだけで消耗する。
制服を見るだけで気持ちが沈む。
教室を想像するだけで体が固くなる。
そうなると、“以前と同じ行動”はもう同じ難易度ではありません。
つまり、「できる力があるのにやらない」のではなく、「以前よりずっと高いハードルになっている」ことがあります。
子どもは、本当は以前のようにできる自分でいたいと思っている場合も多いです。
保護者に心配をかけたくない。普通に学校へ行きたい。前の生活に戻りたい。
けれど、戻れない。
この“戻りたいのに戻れない”感覚は、とても苦しいものです。
だからこそ、「前はできてたよね」と言われることが励ましではなく、つらい確認になることがあります。
不登校初期はとくに不登校特有の考え方をした方が上手くいきます。
今回の場合は、「できなくなった」を“意欲の低下”として見るのではなく、“必要エネルギーが増えた状態”として見ることです。
この見方ができると、保護者の関わり方はかなり変わります。
以前と同じ行動を期待するのではなく、今のエネルギー量で何が可能かを見るようになるからです。
たとえば、以前は一人で全部の支度ができたとしても、今は起きるだけで精一杯かもしれない。
以前はワークを30分できたとしても、今は机の前に座るだけでも大きな気力や体力が必要かもしれない。
そこを認めずに“前基準”で声をかけ続けると、子どもはできない自分を毎日確認することになります。
逆に、今の状態での可能単位を見つけようとすると、関わりは少し現実的になります。
具体的な対応としては、まず「以前」を比較材料として直接出さないことが大切です。
保護者の心に浮かぶのは自然ですが、それをそのまま言葉にすると、子どもにとっては重いことがあります。
「前はできたのに」ではなく、
「今、〇〇をしたね」
と、現在の状態を見る言葉に変えて、言ってみてください。
これは、以前を忘れるということではありません。今の支え方を、今の状態に合わせるということです。
次に、行動を細かく分けます。
外へ出かける。ではなく、
起きる、
顔を洗う、
服を見る、
玄関まで行く。
勉強する。ではなく、
ノートを出す、
ページを開く、
日付だけ書く。
“できる・できない”を大きな単位で見ると、全部失敗に見えます。
小さく分けることで、今の状態でも残っている力が見えやすくなります。
これは単なるハードル下げではありません。今のエネルギーに合わせた見立てです。
学校との連携でも、「以前はできていたから、今も少し背中を押せばできる」という発想や方針に偏りすぎないことが大事です。
担任に対しては、
「以前できていたことが今は難しくなっており、本人にとって必要なエネルギーがかなり上がっているように見えます。しばらく様子をみながら考えたいです」
と共有すると、今の状態を伝えやすくなります。
先生方も、以前の姿を知っているからこそ期待したくなることがありますが、その期待を今の状態に合わせて調整していくことが必要です。
「以前はできていたのに」という言葉は、保護者にとってとても切実です。
それは、子どもを責めたいからではなく、戻ってほしいからこそ出てくる言葉です。
しかし、不登校初期には、「戻す」ことだけを目標にすると苦しくなることがあります。
以前と同じ形にすぐ戻ることより、今はどのくらいの力で、どこなら動けるのかを見つけること。
そのほうが、結果として次の回復に近づくことがあります。
できなくなったのではなく、今は同じ方法では回らなくなっている。
そう見直せると、保護者の目は「前との比較」から「今の見立て」へ移っていきます。
不登校初期には、その移り方がとても大切です。
ただ保護者のみなさんもできる範囲で、できるところから、という心がけで取組んでほしいと思います。
子どももご自身も両方を大切にしてほしいというのが願いにあります。




