再開記念講演会「学校に行けない・行かない子どもと語る3つの大切なこと」

フリースクール地球子屋 代表 加藤と元地球子屋に通ってくれたMさんとの対談形式の講演会を行ないました。

これは、その対談のダイジェストになります。

加藤(以下K):今のMさんの現状について、自己紹介をかねてお願いします。
Mさん(以下M):今は、、22歳かな?(笑)Mです。今は、どこかで働いているわけでもなく、学校などに通っているわけでもないのでいわゆるニートです。1年ほど前に、あるきっかけで心理学を勉強することになって、その資格をとりました。
K:その資格、どういう経緯でとろうと思ったのですか?
M:ゲームかネットをしている時にバナー広告が出て、、、資料請求したら電話がかかってきて。説明を聞きに行ったら資格をとる流れになりました。自分の意思というよりそういう流れに気づいてたらなってたみたいな。
K:そうはいっても自分でバナー広告をクリックしたのは間違いないですよね。(笑)そんなMさんですが、そもそも学校に行かなくなったきっかけみたいなのってありましたか?
M:そうですね。中学校の英語でした。英語の先生が、ネイティブっぽい発音を要求してきて。それができないと発音を被せるように言ってきて。すごく嫌だったし、発音ができないことがプレッシャーに感じてきたんです。それが嫌で仮病で休むようになり、だんだんと教室に入れなくなっていったみたいな感じです。
K:そんな感じで行かなくなったわけですね。家にいる時は、どんなことして過ごしていましたか?
M:ゲームですね。でもゲームをやり過ぎだって母親に怒られて、取り上げられたりした時もありました。学校に行けてないことに罪悪感もすごくあって、でもゲームしかできない自分がいて。そのゲームを取り上げられた時、贖罪っていうか、、見返しやるじゃないですけど。自分は負けず嫌いなところがあって。ゲームではずいぶん親とバトルもありました。でもあの時は、ゲームが自分にとっての居場所っていうか、ゲームがなかったらもしかしたら死んでいても不思議じゃないっていうか、そんな感じでした。
K:保護者の方は、スマホ依存、ゲーム依存って心配する人も多いと思います。自分ではどう感じていましたか?
M:うーん、、、よく分からないです。ゲームもすごく波があって新しいゲームはやっぱり最初はずーっとやってますけど、だんだん飽きてきます。毎日の体調にもよるので5,6時間する時もありますけど、そうじゃない時もあるし。
K:それは、ゲーム依存って感じじゃないですね(笑)
M:ゲームのおかげで知ったこともたくさんあります。日本の地理なんかだいたいゲームです。考える力も漢字もゲームが教えてくれました。だからゲームがあってよかったと思っています。
K:そういう居場所であったりとか知識が得られるとか、そういうことはある世代から上の人にはなかなかわからない感覚かもしれませんね。先ほど、ゲームがなかったら死んでいても不思議じゃないとか言っていたじゃないですか。それだけ罪悪感みたいなものがあったと思います。贖罪という言葉も出ました。今ではどうですか?
M:今は、そういう気持ちはなくなりました。その時からいろんな経験も積みましたし、自分なりに考えたり、学んだりすることもしてきました。自分の視野が広がると学校が全てじゃないってことがわかるようになってくるんです。

K:視野が広がるっていうことで、その1つはフリースクールに来てくれることになったこともあると思います。どういうきっかけでフリースクールを見つけたのですか?
M:実は、私は高校卒業するにあたって4つくらいの学校に行ってるんです。中学を卒業して、とりあえず受験して最初の高校に行くことになるんですけど、中学から学校に行けてなくって全日の高校に通うということはやっぱり無理があったんです。GWが終わったあたりから疲れ果ててしまって行けなくなったんですね。そうしたら高校の先生がホームページ見つけてきてくれたのが「フリースクール地球子屋」だったんです。なのでその先生には感謝してますね。
K:学校の先生の紹介っていうパターンはあるにはあるんですが、少数派なんですよね。大抵は保護者の方か子どもさんが見つけてくれて連絡をしてくれるってことが多いのです。先生が紹介してくれてここへつながったのは良かったです。フリースクール地球子屋は、自分で決めることを重視しているので、来る来ないも決める、何時間いるかも決めるという感じです。いかがでしたか?
M:それはよかったですね。体調が悪くていけないときもあったので、そういう時は安心して休めていました。
K:フリースクール地球子屋ではいろんな活動しました。何か思い出に残っていることや役立ったことはありましたか?
M:そーですね。フリースクール地球子屋で行った活動の全てが自分にとっては役だったと思っています。博物館とか工場など出掛けたこと、みんなでボードゲームしたこと、バドミントンもいい思い出です。
K:しばらくして通信制の高校にいきました。特に最後の通信制高校は良かったと言っていましたね。
M:高校って単位制なので取った単位を持ちこしていきながら最後Kという通信制高校に通いました。そこは通信制といいながら毎日登校して勉強するところで先生方もすごく丁寧に受け入れてくれました。スクーリングといって4泊5日屋久島にいく機会があるのですが、そこは文明の利器がないところで、最初こそどうしようと途方に暮れてたのですが、そこから全国の通学生が来て友だちになっていく感じが心に残っています。
K:そういう環境に身をおいて、初めて気づくこともあるってことですね。全国の子どもたちが一同に屋久島に集まるっていうのもなかなかない非日常な感じです。
M:そこへ通うことができたのもフリースクール地球子屋に行っていたことで少しは慣れていたこともあるかもしれません。
K:フリースクール地球子屋も通信制高校もMさんにとって居場所となっていったわけですが、そもそも居場所ってどんな場所だと思いますか?
M:うーん、、、難しいです。場所があるってことだとは思いますけど、それだけじゃないですね。
K:居場所と言う空間の中で、人と人とのつながりが感じられるっていうのかなと思うんだけど。
M:そうですね。ただ何ていうのかな。つながっているっていうよりも、暖かさ、ぬくもりみたいなものが感じられるっていうか、、、、みんながいて自分がいる中で、何もしてなくても受け入れてもらえているっていう感覚かなと思います。
K:そうんだね。そんな感覚があると居場所って感じするよね。でもさっき言ってくれたけど、物理的な空間だけじゃないゲーム空間であっても居場所として感じられるという感覚、それは新しいと思います。
M:ゲームの中でも会話とか今はできますからそういう感覚をもちやすいかもです。
K:居場所が必要っていう大人はたくさんいます。しかし居場所とは何かを説明できる人はなかなかいないです。奥が深いですね。

K:そして今では、フリースクール地球子屋の親の会に参加もしてくれるようになりました。保護者の方を前にしたときに、「親のケアが必要」っていう言葉を言ってくれたことがありましたね。どうしてそういう言葉が出てきたのか、教えてもらえますか?
M:中学生や高校生の時は、自分のことでいっぱいいっぱいで親の気持ちとか考える余裕はなかったです。でもNLP心理学を学んだことでいろんなことに気づくことができたって思います。そして自分だけじゃなくって親の気持ちはどういうものかも20歳こえてから何となくわかるようになってきました。最初は自分の親が親の会に参加していたんですが、ある時、当事者の子どもでも参加していいって聞いてなんか自分にも経験から話せることがあればと思って参加してみたんです。参加してみて他の親のみなさんのお話を聞いていて自分の家庭と重なるものが多くって、それもあって親の気持ちがだんだん解るようになりました。するとあの時親はこんな気持ちだったのかとわかるけど、子どもは子どもなりに一生懸命でいろんな事を考えているんです。そういうのどう伝えてよいか分からないことも多くってでも分かってほしくってみたいなことがあって、でもそういうのって伝わらないですよね。伝わらない中で親も大変だったんだ、ストレスが溜まるよなってわかって。だから親のケアって必要かもって思いました。でもどうケアしたらいいかって分からないんですけど(笑)
K:親の会がまさにそういうケアの場になっていると思う。それに当事者であるMさんが参加してくれて、子どもの視点でいろいろ言ってくれることで子どもってこんな考え方してるんだって理解が深まることも、すごくケアの1つだと思いますよ。
M:それなら嬉しいです。
K:これからって何か考えてますか?
M:自分の学校に行かなかった経験を今の学校に行けてない子どもたちに伝えていけたらと思います。だから地球子屋に来る子どもたちに何かできればいいなと思っています。
K:ありがとう。そういう事も考えてくれているのですね。

K:いかがだったでしょうか。Mさんの話から大切な3つのことが見えてきました。
3つとは、
1)不登校になると子どもは罪悪感をもつし、保護者は将来に期待ができなくなることで子どもを追い詰めてしまうかもしれません。しかしその罪悪感のような気持ちはずっと続くものではないということです。子どもは成長し「学校」信仰の呪縛から解き放たれ自分の道を歩むようになります。そして保護者もまた子どもの変化とともに変わってきます。決して「今のまま」ではないということです。

2)子どもだけに限らないのですが、特に子どもには居場所が必要なのだということです。それは必ずしも物理的な場所というわけではないと教えてくれました。時にはそれはゲーム内の世界であったりもするのです。心の中に「ここが自分の居場所」と思えるかどうかは、人とのつながりを感じられるかどうか、Mさんの言葉では暖かさ、ぬくもりが感じられる場所なのか、受け入れてくれるところなのかどうかということです。自分が居ることが自然で受け入れてもらえている感覚こそ、居場所となるかどうかの鍵なのかもしれません。

3)不登校になると家族も焦りや疲弊するため、家族へのケアはとても大切だということです。しかしそれは子ども自身にはなかなかできないことの1つです。なぜなら子どもは当事者でもあるからです。そこで家族は相談できるところに出かけてほしいが専門家からの助言というよりも保護者の話をしっかりと受け止めてくれる場が必要で、それは親の会のような対等な場こそふさわしいかもしれません。そういう意味で保護者のケアとは、保護者にとっての居場所なのかもしれません。子どもも親も居場所を見つけていき、そこで経験をつんでいく中で子どもと親がお互いに聞く姿勢をもつことができたとき、初めて対話が生まれるということなのだと思います。対話ができて初めて親子が向き合えたと言えるのではないでしょうか。親子が向き合える関係になって、それで親子は「親と子」という関係がスタートできるのかもしれません。

当事者であるMさんは自分の言葉で丁寧に語ってくれました。自分の言葉だからこそ私たちの心に伝わるものがあったのだと思います。
みなさんは、いかがだったでしょうか?ここで質問があれば受けたいと思います。

Q 親にしてほしかったこと、してほしくなかったことはありますか?
Mさん:ノックもしないで部屋に入ってくるのはしてほしくないですね。してほしかったことは、親が今、いてくれること、してくれたことの全てだと感じています。感謝しています。

Q 父親の役割はどういうことだと思いますか?
Mさん:私の父は寡黙で、父と子の関係が何なのか、本当の意味ではまだわかっていないことが多いです。中高生はそれこそただ給料を家にいれるだけかよって思ったこともありました。でも今は父は父なりに考えてくれてたことがあったのだなと解ります。だから側に居てあげるだけで、今のままで良いと思います。言葉では言わなくても親の態度で伝わるものがあります。親の背中を見て育つじゃないないですけど何かしら必ず伝っていると思います。

以上。記録 フリースクール地球子屋 加藤

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