2005年度活動記録

日帰り旅行 別府天国めぐり 

2005.6.15(水)


    AM7:30 さあ出発だ! 

 


3時間座ってるのも楽じゃない


                                                                  地獄の数々


                                                                   足湯で一息

行程表つくりは結構大変

乗り継ぎの時間や行き先を間違えないようにしっかり調べた


       


   なぜだか別府に大量のワニが温泉!?につかってたよ!    お目当ての疑獄ムシプリンも食べた


                                   水族館

                「うみたまご」



















無人島キャンプin大島

Living together〜 仲間と共に、大自然と共に

電気もガスも水道もない、寝床もトイレも風呂もない島で さあ、あなたは何から始める?

と き 2005.8.7(日)〜8.12(金) 5泊6

ところ 熊本県牛深市大島(1974年廃村)

 

《こんなことを考えて計画しました》

何でもそろい、物のあふれるこの社会にあって、それでもなおいろいろな物を求め続ける私たちの日常は、
もう地球規模で行き詰まっています。何が一番大切なものなのか、大人も子どもも、もう一度ゆっくりと見つめ
なおすために、今回はなるべく文明生活から離れたところで、あえて無人島でのキャンプを計画しました。

 喧騒とした社会の中で眠ってしまったみずみずしい感性を大自然の中で取り戻し、無限にある選択肢の中から、
自分の頭で考え、仲間と共にしっかりと話し合い、自分たちのための答えを選び出していければと思います。
一週間に満たない短期間ではありますが、今回のキャンプが皆さんの今後の生活に生かされ、人生にとって
かけがえのない体験となるよう祈っています。

○生活のこと

 食と住に関しては、今回の目的に添っていろいろなことを考え、体験していただくために制限がありまが、基本的に
持ち込む物、生活時間はすべて自由です。
このキャンプでは「自由」や「独立」というのも、大きなテーマの一つです。 人間生活において大最も基本となる
「食」と「住」に関して、なるべくに自立した状態に身を置いて、そこで何かを感じ、考え、出来ることなら仲間たちと話し合い、
これからの自分たちの自立した考えをもつための一助として欲しいと思います。

<食べ物>

  玄米と調味料以外は持ち込みません。その他の食べ物についてはこの島で賄います。唯一持ち込む食料をなぜ玄米に
したかというと、単一でこれだけ多様な栄養を含んだ健康食は他にないからです。よくかめば生食も出来るため、非常食も
かねています。ただ初めて食べる人や、馴れていない人には胃に重いと思いますので、なるべく柔らかく、むしろおかゆに
してそして50回でも100回でもしっかりかんで食べてください。

<住まい>

  基本的に住むところは自分たちで作ります。万一に備えてグループに一つのテントは用意していただきますが、テントは
自分たちの持ち物ですので、そこで使うかどうかは各グループで決めます。

 

○持ち物のこと

 詳細は事前学習会の話し合いで決めますが、ナイフだけは必ず持ってきていただきます。サバイバルで一番大切なものは
ナイフといわれています。先住民のアイヌの人々は、ナイフを決して肌身から離さないそうです。たとえすべてをなくしても、
ナイフ一本あれば生存率はぐんと向上します。また今回は大きな災害が起きた時に参考になるように、という側面もあります
ので、荷物は担いで2〜3キロくらい歩けるぐらいにしておいてください。実際に歩くかも・・・

小さな孤島の大自然の中で、私たちは、楽しい、さびしい、美味しい、ひもじい、暗い・・・

あらゆる想いや感覚を体験しました。

大自然の偉大さと美しさと厳しさ、そして人間の微力さと無限の可能性とを知ることができた
のではないでしょうか?

無人島写真集


牛深市南西5キロに

浮かぶ無人島

大島へ出発。

陽気な船頭さんが緊張をほぐしてくださった。


“自分が持てるだけの荷物”が目標だったけど・・・

大きな荷物とともに上陸。


目のくらむような暑さの中、大人班は必死で家作りを始めた。一日目はここまで。


大人班を尻目に泳ぎまくる子ども班。


大人たちは、浜で寝た。砂利がとても気持ちがいい。子どもたちは、暑かろうに団子になって寝ていた。

なんでも食べよう無人島! 

とにかく色々食いました。

ワケのわからん豆から

タコ、イカ、ハリセンボン・・・

カニやカキ、海ブドウのようなもの・・・

足元をカニがざわざわ歩いていた。藪ばかりの島を探したのでした。

ちょっと苦い豆


イチジクのような

ちっちゃい果物は甘かった。


たぶん海ブドウ。味噌汁にした。

バリだ!上手にさばいてよ。刺身で最高。


でっかいイカをゲット。

刺身は最高だった。


身のないハリセンボンも味噌汁にして、しゃぶりついて何とか食い上げた。



タコしとめたぞ。

これも味噌汁に。



カニ汁カニ汁。


少し料理方法を変えて今日は玄米チャーハン。

ほぼ完全栄養食の玄米飯。

タイヤのホイールを釜戸にして。

何でも入った味噌汁も栄養満点・・・のはず。

初日は用心して濾過していたが、濾過や煮沸を面倒がる子どもたちによって、
そのまま飲んでも安全が確認された?
(大丈夫だとは聞いていたが、大人は用心していたのでした。)

この井戸が命の水。冷たくておいしかった。

海以外に何の娯楽もない絶海の孤島


明るいうちに着々と夕飯準備をする大人班。


遊びに夢中で食事作りもままならない子ども班。


夕焼けの中で、さらに真っ暗闇の中で遊ぶ遊ぶ。


寝起きのひと泳ぎ


一日中海ばっかり。何時間海に浸かっていたことか。

 


漂流物で魚の仕掛けを作る

 

 

日陰で燃えた『ラスイチ』


とにかくハラヘッタ。












きれいだけど、腹は満たしてくれんたい!


最後の晩にやぐらをくんで海の上で燃やした。

波打ち際で幻想的に光る海ほたる。

興奮して捕まえてみると、1ミリよりちいさいえびのようなかたち。

結局
カメラには写りません。

長かったような短かったような、、、

   さようなら、大島

   ありがとう、大島

 

大島探検日誌

第一日目 2005.8.7(日)

6:30 子供集合。地球子屋から持っていく荷物を6人で分けるために早くから集まったが、各自の荷物も手一杯で「もう持てない!」と訴え悩む子供たち。話し合いで何とか決着。

   12:00 日曜日とあって3時間かかるところ4時間かかって到着。

   車から荷を下ろして各自担いでみるが、抱えきれない子ども数名。港を200〜300mを歩けない。「自分が持てるだけの荷物を持ってくる」という目標が崩れた。

12:30 石鯛丸の船主土手さんと挨拶を交わし、乗船。いざ出港。「生きて帰るよ〜」と西さんに手を振る。湾内は静かだったが外はうねりがあり、しぶきで荷物が少しぬれた。土手さんのご厚意で大島を1周回って全景を見さて下さった。大きなうねり中、瀬と瀬の間や渦の上を、ジャンプしたり、横になりながら飛ぶように進む船。ジェットコースターよりスリルがあって最高!

13:10 島の湾内に入ると静かな海。数日前の台風の影響で少しにごっているが、雨の心配もなさそうなので、荷物を置き弁当を食べたり泳いだりして休憩。

   さて、日暮れまでにやることは山積。早速大人はシェルター作り。子どもらはその後も海で遊ぶ。今夜はテントに寝てシェルターは明日始めるそうだ。大人のシェルターは夕方には骨組みと南側の屋根半分ほど出来上がる。夜は気持ち良かったので、星を見ながら海辺(玉砂利の浜)で寝たが、蚊とフナムシに寝かせてもらえず夜中テントの中に寝ては見たもののやっぱりフナムシの乱入に、子どもも大人もなかなか寝付けない第一夜だった。

 

2日目 2005.8.8(月)

前夜は初日とあって誰もがあまり眠れなかったのだろう、皆かなり陽が昇ってから起きだす。大人は玄米を炊き、湯を沸かし味噌をといて味噌スープを作り、麦茶を沸かしペットボトルに入れて井戸で冷やす。子どもたちは起きてすぐに泳ぎ始める。大人は腹ごしらえをして大いに泳ぐ。堤防から飛び込みおおはしゃぎ。子どもたちは泳ぎ疲れると空腹で陸に上がってきたが、面倒くさいのと疲労感からか、食事作りも水の確保もしようとしない。何しろ極暑の中空腹では思考もままならない様子。唯一残っていたカップラーメンを肴に、生玄米をぼりぼりかじっていた。(事前学習会で玄米を生で食べて非常食にすることができると説明していたのを覚えていたのか)持ってきた水がまだ残っている子は自分のがあればそれでいい様子。水がなくなっている仲間のことを気遣おうとしない。また、水がない子も友達にそのことを伝えるでもなく、自ら井戸水を汲んできて沸かすでもなくただじっとしている。子どもたちの協力体制や自己管理のなさ目に余るものあり、急きょ昼ミーティングを開く。

チームとしての協力や、キャンプをみなで楽しむということがうまくいっていないからには何とか解決策を考えようと提案。子ども班で話し合う。

問題:食事作り、飲み水の確保、フナムシ対策、安眠できる寝床の確保、シェルター作りなど

  話し合いは改善策なく終わった様子。再び泳ぐ子どもたち。

夕ミーティングでもう一度、「ここには常に気を配ってくれる親はいないよ!」と問いかける。

 子どもたちは ・遊びと仕事のけじめをつけたらいい

・ご飯やお茶を飲みたいときに飲めない(自分たちが準備をしていないからなのだが) 

・テントで一人が大の字になって寝るとほかの人が寝るところがなくなる

・フナムシがテントに入ってきて眠れない

・アイスが食べたい

といろんな意見が出たが昼間の暑さに思考も行動も伴わないといった感じ

 

     初日に動かなくなったビデオカメラの代わりを牛深の福島さんが船を出して届けてくださった。

 

第3日目 2005.8.9(火)

5:00 大人起きだし、海で洗面、歯磨き、水中うんこ?

   味噌汁の具(貝・海草・魚など)をとる。玄米と炊く。茶を沸かす。

8:30 朝ミーティング

(決まったこと) ・子どもは朝起きて泳いだだけで食事をとっていないので食事とお茶を作って10時半ごろから山へ探検。 

          ・子どものシェルターの場所を探す。井戸を探す。

灯台(61m)まで探検。暑さで皆力が出ない。井戸探しやシェルターの場所探しをする気も出ない。早く降りて海へ入りたい!戻って皆海へ飛び込む。服のまま飛び込み泳ぐと、洗濯が出来上がる。(そのあと井戸水をかぶりすすぎまですれば完璧)そしてその辺に掛けておくと1〜2時間で乾く。洗剤も洗濯機も要らないなんとエコな生活。

 Sさん、30cm弱の大物(バリ)をモリで突いてきた。皆目の色が変わり漁へ出る。夕方の潮の満ち初めに魚たちが動き出し湾内に入ってくるようだ。他にも小さなベラをK君が捕って来た。今夜は初めての動物性たんぱく質。バリの刺身をみんなで食べた。子どもたちがワサビを準備していた。小さくきった刺身を一切れ一切れ大切に大切に味わって食べた。「うまか〜!」「うまか〜!」何度も叫ぶ。

 M君「箸がない!」「さらがない!」と叫ぶが自動的に出てきはしない。「食欲もない」といっていたが、箸を大人とおもやいで使い出すと刺身にむさぼりつく。

 夜、「M君が泣いてる」とT君が報告に来る。「寝るまで一緒にいてあげて」と頼むと、2人でウノを楽しみ、一緒に寝ていた。N君とK君は夜釣りにがんばる。

 

第4日目 2005.8.10(水)

5:00 大人は夜明けとともに起き、魚つき、貝とり、茶、味噌汁、ご飯炊き。

7:00  子どものご飯当番、昼の分まで大鍋で炊く。

        今日も極暑、みなのんびり泳ぐ。

15:00 大人は翌日のゲーム作り。

    子どもたちは遊泳と漁。M君昨晩のホームシックも乗り越えたのかコバルトブルーの海に浮いたり潜ったり楽しそうに漂っている。K君はモリを持って延々と獲物を追う。

    しばらくして子どもたち、獲物を持って続々と戻ってくる。もりに差した獲物を持って誇らしげに。N君(タコ、メジナ)K君(カニ、その他)

   K君、潮が満ち始めているのに戻ってこない。他の子が声をかけてもきかなかったという。帰ってきてから皆から大目玉。

     今夜はなんと豪華な夕食

     巻貝とタコの炊き込み飯。(炊いた玄米をもう一度炊き込む)

     カニとハリセンボンの味噌汁(隼が沖縄でハリセンボン汁を食べたと言うが、本当に食べられるのか?どう料理していいのか?わからなかったので、牛深在住の福島さんと土手さんに電話した。お二人とも食べたことはないそうだが、毒はないだろうということがわかり、思い切って料理することにした。ハリセンボンは内臓を取ったらほとんど身がなかったが、針の付け根はゼラチン質で美味しかった。でも超食べづらい!

     カキ。夏のカキでもここではOK.焼いて食べた。

     網焼き(カキ・メバル・カニ・焼きおにぎり)

     「焼きおにぎり!」と叫んだK君。一人でたくさん三角おにぎりをむすんでくれた。とってもきれいな三角おにぎりだった。

     夜、海ほたるがきらめく海で泳ぐ

  夜、浜辺で汗流しに泳いでいた隼が「海ほたるだ!」と叫ぶ。みんな浜に出て泳いでいるみると、手で水をかく度に水の中で満天の星空のようにきらきらと瞬くものがあった。早速捕獲作戦。まず網を使ったが小さすぎて抜けてしまう。次にタオルや洋服ですくい上げると、確かにすくい上げるているのだが小さい上に透き通っているためになかなか確認できなかった。でも確かにいた。服の上できらきら光っているのだから。

 

5日目 2005.8.11(木)

10:00 ・朝ミーティングの後、山に入る準備をして、ゲーム開始。

     「クイズに答えながら進む大島オリエンテーリング」

・石鯛丸の土手さん今夜キャンプファイヤーのためのたくさんの竹を船で運んできてくださる。

12:00  みたらし団子皆で食べて休憩(カードゲームなど)

   団子は柔らかく2度炊きした玄米ご飯を丸め、たれは醤油と砂糖を煮詰める。なかなか好評だった。

13:30 キャンプファイヤー準備

浜にある廃船を全員で力を合わせ海に引き出す。浜に打ち上げられた大きな発泡スチロールを拾ってきて廃船に縛り付け浮力を増す。が、なかなかうまくいかず、しばらく廃船を浮かべて遊ぶ。クジラに戯れる漁師の子どもたちみたいに。

16:00 遊び疲れ子どもたちは釣り、大人はもう一度発泡スチロール取り付け作業。その頃土手さん様子を見に来られ、船の上に竹を組んでやぐらを立てる作業を手伝ってくださる。このやぐらの火は島の神様を迎える火だそうだ。湾内の中央に船を固定し、泳いでたいまつの火を運び、点火するという、なんとも神秘的な夜になりそうだ。

     この神聖な作業中、さらに不思議な出来事が起こる。湾の入り口からクーラーBOX位の箱がぷかぷかと漂い入ってきた。「箱の中身は何だろう?死体かも?」TとM近づく。中身を見たとたん「神様からの贈り物だ!」と叫びながらその箱を持って走ってくる。なんと中には釣り用のオキアミがどっさり入っていた。再び子どもたち釣りに力が入る。

・ やぐらの準備で日暮れが近くなってしまったが、子どもたちは最後の晩餐の魚を、Y・Mはご飯と味噌汁の仕込み、Bは磯へカキを採りに、Sは船を湾の中央に固定作業。

・ すっかり日が暮れランタンをつけながらの最後の晩餐。

   メニュー:カキ飯、イカ刺し、カワハギ、その他貝・魚の網焼き

  最後の晩餐にふさわしく豪華で・本当に美味しい美味しいそして楽しい食卓となった。

・ 食後、いよいよたいまつを持って暗い海へ入らなければならない。名乗りをあげたのはNとK。パンツでふんどしにしていたが結局生まれたままの姿ということになり、りんとした面持ちで?(笑い転げながら)海へ向かう。なかなか火がつかず、Bもエタノールを持って海へ向かう。点火してすばやく船から離れる。やぐらのてっぺんにセッティングしたガソリンが火柱を上げる予定だったが、途中で落ちて下のほうから時々上がる。しかし真っ暗な海のまん中で燃え上がる火の美しさにみんなしばし言葉を失う。その後は花火で大騒ぎ最後の晩を大いに楽しみ語り合う。

6日目 2005.8.12(金)

     いつも通り大人は目覚め、夕べの残りで朝食を済ませる。子どもたちは夜遅くまでカードゲームをしていたらしくゆっくり起きてくる。今日のレストランでの昼食を楽しみにしていて、朝飯は食べないとの事。しかし、Nは昨日のみたらし団子が忘れられないらしく、朝から作ろうかどうか迷っている。そんな時間はあるはずもないが。海に浮かぶ廃船を引き上げたり、自分の荷物をまとめたり、周辺の掃除をしたり、最後まで厳しい暑さの中みんよく頑張った。

11:00 いよいよ大島出発。「大島さようなら〜」と叫ぶM。苦しいこと楽しいことがあったからね。毎日のように訪れる日帰りの海水浴客や1泊どまりの学生団体があり、貸切とはいえなかったけれど、コバルトブルーの海と戯れまた真剣に魚と格闘し、フナムシやゴキブリの襲撃に悩まされた夜、天然の食材に舌鼓を打ち、大島で生活した6日間。

   大島を出て向かったのはダイパーも集る海中公園。ライオンの顔をした岩場に連れて行っていただいた。牛深まで10分のところを、30分の航海をプレゼントしていただいた。Nさんの待つ港に到着。

12:30 土手さんと握手をしたりハグしたりしてお別れをし、6日ぶりのお風呂と白米の上げ膳据え膳の料理をいただくためにやすらぎ荘へ。

  着いたとたん皆冷たい飲み物に手が出る。お風呂ではさぞかしたくさんの垢が出るかと思いきや、意外と出なかったと思う。多分毎日海水できれいになっていたんだと思う。ガパガパだった髪の毛も塩を落とすとサラサラヘアーになった。さて料理は丼物や定食をとったものの、その後の甘くて冷たい物が永遠と底なしに口の中に入っていく。

 お盆前日とあって道路は超渋滞。運転者の疲れをよそに、子どもたちは疲れで寝るかと思えば4時間ずっとしゃべりつづける。6日間の思いは4時間でも語れないのだろう。

19:30 地球子屋到着。

参加した大人の感想

大石 隼

 皆さん キャンプはどうもお疲れ様でした。

あんなにつらかった事も、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」で、今は以前どおり普通に過ごしているのではないでしょうか。

 僕はこのキャンプは始まる前から「成功も失敗もない、厳しい条件のもとで無人島に滞在し、生活する、そして何かを体験する」それがすべてだと思いました。それこそがそれぞれのこれからの人生にとって何かしら隠し味のような大事な物になるのではと思いました。実際、途中で帰らざるを得なくなった人たちもいましたが、それ以外には、大きな病気・ケガもなく、キャンプを終えることが出来たのは、僕にとっては大きな喜びです。

 でも、僕は皆にキャンプのことを時々思い返して欲しいと思います。落ち着いて冷静に考えれば、あの生活の中で、皆は失敗だらけでした。皆は一つにまとまって何かをやろうとしたでしょうか?家作りは?食事作りは?何かしなければならない時、率先してやりましたか?そしてその結果は?仲間がつらい時手を差し伸べましたか?一人一人の仲間に対して、公平に思いやることが出来ましたか?そして皆でキャンプを楽しくしようと思いましたか?これらのことは人間が集団で生活する上で欠かせることのできない物だと思います。こういった点でいうなら、このキャンプは本当に失敗だらけでした。

 今僕がこれを言うのは、皆を責めるためでも批判したいわけでもありません。そんなことをしたって無意味です。もう過ぎたことですから。それよりもこの体験を次につなげて欲しいのです。

 何か問題が起きて、考えて解決をしたり、また、その後に「あれはどうだったろうか。もっとこうすれば良かったのでは?」と、公平に、冷静に見ることができればそれは無駄にはなりません。それは後できっと役に立ちます。

 だから、どうか機会があれば、冷静にキャンプを思い返してください。そして、これからも、もっと人生を楽しめるようないい大人に成長してってください。

                          どうもお疲れ様でした。

 

菊川 泰

自分に対する希望と大いなる可能性を見出せた私は、熱気の冷めやらぬうちに帰宅した。家族はあまりの日焼けの黒さに圧倒され、キャンプの内容に唖然とし、私の覇気に驚き、1週間ぶりに無人島から帰宅した息子を見て「あんた本当にうちの子ね?」これが私の母が溢した第一声である。

あそこで得たものは何だったのだろう?今でも時折、あの不思議な日々を振り返ることがある。全てが初めての経験だった。大島で暮らした56日のサバイバル生活は、私の価値観と食生活を変えるのには十分な期間だったようである。あまりに得たことが多すぎて、自分自身、いまだに整理できずにいる。

しかし、「無人島での生活はゴミが出なかった」これは大いに誇れることである。省エネのために節水しましょう、節電しましょう、そんな言葉をよく耳にするが、私は大島で究極の省エネ方法を知った。日出に目覚め、日没に床に着くことである。そんな生活をすれば、ゴミにするなんてもったいない。水を無駄に使うなんてもったいない。自然はすべての源である。そのようなことは自ずの身でしみじみと実感できる。

自然環境保全を訴えていかなければならない立場に身を置いているが、周囲は「自然は素晴らしいものです。皆さん、大事にしましょう。」と口で言うだけである。作家の井上ひさしさんは著書『井上ひさしと142人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)でこのように語っている。

「作文で大事なのは、自分にしか書けない文章を誰にでもわかるように書くことなんです。具体的に言うと、“面白かった”ことを“面白い”という言葉を使わずに表現することなんです」

本当に凄かった事物を伝えたいとき、何度「凄かったんだよ」と言っても伝わらない。どこがどんな様子だったら、自分はこんな風に感じたんだ。こんなことを思ったんだ。それを思い出しながら話せば、その感情から凄かったんだなと周囲は感じるはずである。だから、私はいつものこの言葉を思い出す度、私は自分自身に言い聞かせる。「口先だけになるな。実践第一である」と。

 暮らしの中に学びは潜んでいる。学びの第1歩は、模倣に始まる。そして、2歩目がチャレンジ。私は、無人島でやり残したことがある。私の気持ちは次の機会を伺いつつ…。

今年の卒業生が別れの挨拶と一緒にこんな言葉を私に残していった。

「先生ってチャレンジャーですね」

そんな言葉が私を突き動かす。周囲の笑顔が私を後押しし、自己実現へ向けての勇気となる。

あの日々は私の財産になった。キャンプに関わったすべての人、ともに暮らした仲間たち、そして大島へ。ありがとう。

2005.9.20

 

国武信子

「そこにあるもので暮らす」という今回のキャンプは、電気・ガス・水道がないのだから、化石燃料(石油など)を使わないで暮らすというだけでもスゴイ!と思っていたのですが、さらに、ゴミが全くでない!ということにビックリ。住む家も食べ物も買ってきた物ではないのでパッケージもなく、すべて土に帰ったし、自分自身が出した老廃物もすべて土に帰っていきました。

人が生活すれば必ず地球を汚す≠ニいうのはこのキャンプではなかったですね。とてもうれしいです。また、体調が本調子ではなかったのですが、土の上に寝て、歩き、塩水・潮風に洗われて、とても体が軽くなり元気になったのを実感しました。シェルターの中に敷いたカヤ布団の気持ちよさ、海中に漂う時、太古の原生動物だった頃の記憶が遺伝子レベルで呼び起こされたような懐かしさ?そんな気持ちよさを今でも忘れることが出来ません。文明という暮らしやすさの追求が、人間本来の喜びや健康を遠ざけていることに改めて考えさせられました。

今回参加してくださった皆さん、ご協力いただいた皆さん、ほんとうにありがとう。私は皆さんのおかげでこのキャンプを楽しむことが出来ました。


ツーリングカヌー

と き 2005.10.2(日) 

ところ 上江津湖〜加勢川〜野田堰まで



今年で
3年目となる「NPO法人天明水の会」によるカヌー指導を受け、みんなで川くだりに挑戦。初めてでも大丈夫。



すぐにスーイスイ。湧き水からなる江津湖の水はさすがに透き通っていてとても冷たい。川べりの様子も刻々と変わります。



しばらく漕いで慣れてくると、くっついたり離れたりしながら遊びが加わります。



すぐに方向転換もスムーズにできるようになります。カヌーの上に載っているのはウォーターレタスという外来種の水草。毎年大繁殖して有明海ののり養殖に被害が出ているそうです。



ゴールの野田堰に到着。暑さによるバテと途中の連結遊び等で、予定の
2時間が4時間もかかってしまった。



最後の力を振り絞って船の引き上げと、洗浄。空腹でフラフラだった。でも、天命水の会のおじさんたちはタフだったなあ。さすが有明海横断されるだけのことはありますね。脱帽!




阿蘇ぼう

と き 2005.10.28(金)29(土)

ところ 波野村やまさち牧場共生村

    電気も水道もない阿蘇の草原の中に自分たちで家を立て、
     それぞれが自分の仕事をしながら
豊かに暮らす方々と
     ともに一夜を過ごさせていただきました。

     サラブレット1頭とポニー1頭と犬たちと
     にわとりたちが仲良く暮らす村


釜戸でご飯を炊くのももうお手の物


手作りの家、手作りの囲炉裏、

家の中で焚き火が出来るって素敵       ろうそくだけの夜はとてもロマンティック

 
 

帰りに阿蘇の大観峰へ行ってきました

 

 












フリースクール交流スポーツ大会「プレイパークで遊ぼう」

と き  2005.11.27(日)

ところ  熊本市長嶺プレーパーク

 フリースクール全国ネットワーク主催で全国各地のフリースクールが企画し、全国5ヶ所開催されました(東北・関東・関西・中四国・九州)。長嶺街づくりの会から手作りのだご汁が振舞われ、福岡県柳川市のフリースクールによるピザ作りや、仮装も披露されました。ベーゴマ・釘刺し・交流ゲーム・火遊びなども楽しみました。
















































登山「次郎丸嶽、太郎丸嶽」

日  時  218()

場  所 上天草市松島町


 山頂より360度の眺望、天草松島・有明海(島原湾)・不知火海(八代海)の海が眺められる標高397メートル一時間程度で登れる山です。


 ということで、登ってきました。
ちょっと曇りがちで景色がもう一つでしたがしたが、汗をかきすぎずちょうどいい気温でした。




気持ちの良い木のトンネルをくぐり、柔らかい落ち葉の絨毯を踏みしめて、さあ出発!












長寿の水も、昔は日本でもありがたいものだったでしょうが、長寿国となった日本より、
今は水の乏しい海外の国の人々に分けてあげたいなあ〜













“いなづま返し”といういかにも険しそうな道。所々ロープにつかまってよじ登る道はおもしろかった!
















ヤッターヤッター頂上だ!

休み休みのんびり歩いたけれど、ちょうど予定どうり1時間で到着。今日は曇りで雲仙や阿蘇が
望めなかったし海の色も今ひとつ。だけどやっぱり頂上はすばらしい。なにがすばらしいって?
登った人にしかわからないんだなあ、これが!

にこやかに座っている女3人だが、実はこの一歩先は断崖絶壁。君は座れるか?

360度のパノラマ。200以上の島々や、九州の山々が見える所なのです。












またしても命知らずの女3人。飛び出た岩の下はおそらく百メートル以上何もない空間。あっぱれ!特にS子は“高所まったく平気症”ということが判明。見ている方の足がすくんだ。


山頂付近は巨大な岩がたくさん。畳にして十畳ぐらいの平べったい岩の上で。


くだりは楽勝。軽やかに、すべるように、時たま転びながら30分くらいで降りてしまった

 山なんてただ登るだけで何が面白いと? と思っている方、一度一緒に登ってみませんか?
 山の道ってその一歩一歩が未知なんです。
自分の次の一歩をどこに下ろすのか?選択を迫られる場面があって、私は
その一瞬が好きです。そして、木や土やいろんな匂いを嗅ぎ、光や風の温度を感じ、足の裏で
でこぼこを感じるときとってもワクワクします。


講演会「子どもたちのニーズに合わせた新しいタイプの学校づくり」

〜アメリカのチャータースクールから学ぶ〜

 3月2日(金) くまもと県民交流会館パレアにて

 講師 荒井英治郎氏(東京大学大学院 教育学研究科)

 パレアとの共催でNPOテーマ別専門研修会として開催。

荒井氏を招いてアメリカの実践や日本との違いなど、学ぶことの多い会となりました。

最後に示された『終わりに・・・』

荒井英治郎氏講演会

  ・一人では学校をスタートすることはできない。

・学校運営とコミュニティの関係

・誰のための、何のための学校なのか?(学校の社会的意義)

 ・始めることから続けていくことへ(「責任」の意味の転換)

・チャータースクールの運営者の誰一人として、その過程が簡単だとはいわ                   ない。しかしながら、子どもたちのために新しい教育の機会を提供することは、                    価値あることである。

    心に残った最後の言葉でした。




プロジェクト・ベース学習の成果を発表するプレゼンテーション

日時 3月11日(土)

場所 熊本市青年会館会議室

プレゼンテーション 拓也
 「燻製作り」の取組を発表したT君。燻製箱作りからはじまり、チップや材料のの選択、温度管理に試行錯誤して3度目の作品を会場で披露。ベーコンとチーズの燻製に皆舌鼓を打ちました。






プレゼンテーション 裕章
 「バドミントンでSさんに勝つ」と題して、毎日の練習の課題と積み上げた成果をビデオに録画し発表。自分が決めた最終目的に向かって、具体的な課題を自分で見つけ、実践していくという、プロジェクトの大切な流れを体験しました。






プレゼンテーション 佐藤氏
 今回の特別ゲストはいのちと土を考える会の生産者佐藤勝六さん。
「野菜の自家採取」について美しい花の写真や、丹精こめて作られた野菜を手に、種取のご苦労や、「種」に関する世界情勢、遺伝子の話まで多岐にわたり、時間が足りないくらいでした。
私たちの食べ物は、本当に危機に瀕しています。もっともっと勉強しなければならないことがたくさんあることを実感しました。