ともに育つ親の会 4月

〇学校とは、どんなところなのでしょうか?
 子どもは、学校に行って大人になるためにいろんなことを学んで、成長するところだと思っている人は多いことでしょう。
 実際に、熱心な先生からたくさんの知識やスキルを教えてもらうことができて感謝している人もいるでしょうし、先生の記憶はあまりないけれど友だちとの楽しい時間が学校生活のすべてであった、あるいは熱心に何か活動に取り組んだことの思い出がある人もいるでしょう。

 その一方で、全国で10万人を超える不登校の子どもたちがいます。およそ1学年に100万人以上はいますから小学1年生から高校3年生までざっと1200万人以上の子どもたちがいると考えると、10万人とは全体の0.8%、1%に満たないということです。逆の言い方をすれば、99%の子どもは学校に通っているわけです。

 だからといって学校に通えない子どもたちを放っておいていいのでしょうか?いじめの問題、体罰の問題と学校は今や安心して学べる環境になっていないのではないでしょうか?それでも1%の子どもたちに入った方が「学校に通えない」ということを理由に「ダメな子ども」「学校に行かなくて悪い子ども」「問題のある子ども」というレッテルを貼って学校という社会から排除しようとする圧力があるのではないでしょうか?

 もちろん学校の先生たちは一生懸命子どもたちの事を思って毎日奮闘されていることはわかります。しかし学校に行っても自分の出番はなく、大切にもされず、心を通わす友人もいない環境にあったら、学校に行きたくなるでしょうか?ただただ用意されたことをやらされるだけだと感じるようになったら、それは苦痛にしか感じないのではないでしょうか?

 学校は、子どもたちを集めて、決まった教科を教える場所ではないはずです。それでは塾と同じです。学校は、子どもたちのコミュニティであって子どもたち一人一人が誇りをもって生きていけるような場所であってほしいですが現在では必ずしもそうなってはいません。それほどに多様な子どもが増え、その対応に四苦八苦しているのが現状なのです。

 大切なことは学校コミュニティが合わないのであれば、そことは違うコミュニティが選択できることなのです。オトナだって仕事が合わない、会社が合わないと思ったら辞めていきます。会社と方針が合わず、無理をすれば病気になってしまうでしょう。そこから離れて自分に合うコミュニティの中で自分を成長させるような選択の自由はあっていいはずです。
 学校は、何を子どもたちに伝えているのでしょうか?それは本当に、その目の前の一人の子どものことを思って伝えているのでしょうか?もしそれができないということであれば様々な支援を学校以外の場所で受けることは当然のことではないでしょうか。

〇親として、どうしていいかわからなくなっています。
 子どもたちは、今、ここに生きています。
機械の工場で製品をつくっているのとはわけが違うのです。

 自然を見ればわかることがたくさんあります。例えば同じようなサクラを咲かせる木であっても1本1本全く違いますよね。ここの水や土が合わないこともあるかもしれない、だから枯れそうになるかもしれません。でもちゃんと別の場所で水や土壌や光など条件が整えば本来のサクラを咲かせる力が発揮できるはずです。

 親も人間です。どうしていいのかわからなくなることだってあると思います。カナダでは有名なプログラム「完璧な親などいない」があります。まさにその通りなのです。
 親の考え、価値観があること、もつことはとても大切です。それを子どもに伝えることはごく自然なことです。
しかし「学校に行くことは当たり前で当然のこと」という価値観は、どうでしょうか?そこに「その子どもにとって」という子ども本人のことは入っているのでしょうか?
 学校の立場として、「学校に来ることは当然で当たり前」であることは理解できます。
学校として「来ても来なくてもいいですよ」と言い出すと、その存在意義そのものが崩れるからです。しかしそれは子どもにとっての立場で考えたときに必ずしも適切な対応ではないことがあります。

 子どもは学校に行きたい気持ちは誰よりも持っていたとしても、学校に行けない自分を責め続けています。一番、辛くて苦しいのは子ども本人です。そんな子どもの環境を変えられるのは誰でしょうか?大人でしかないはずです。
 だから、家族であるお父さん、お母さんは子どもの立場や気持ちを理解してあげることが大切なのでしょう。

 ある人はこう言ってくれました。
「人は、何が一番つらいのか。嫌われることじゃないんだ。嫌うということは、自分の言ったことを理解した上でそれが好きか嫌いかという話でしょう。一番つらいのは、自分の言ったことを理解すらしてくれないことなんだ。それは辛くて、悲しい。」

 理解すること、それはまず相手のすることや言うことを受け止めることから始まります。そこに良いとか悪いとか過去がこうだったからとか未来が心配だからとか、そのような判断なしで、しっかりと認めること、学校に行けない、行きたくないということを正面から受け止める事が大切なのだと思います。