ともに育つ親の会 11月 不登校という現実は、大人にこそつきつけられている

不登校の子どもに対して、保護者として何ができると思いますか?

ただ、どの保護者の方にも共通していえることは、子どもに時間を与えるということではないでしょうか。

そう、学校に行けない・行かないというのは、視点を変えれば「子どもが自分のための時間を得た」ということです。

すると大人は不安になります。

我が子は、遊びほうけて自堕落な生活になってしまうのではないか。

このままでは働きもせず、親が養っていかなければならないのではないか。

その不安、確かに理解はできますが実際には必ずしもそうはならないことの方が多いのです。

確かに思春期の真っただ中にあって、自分が何をどう考えているのかも混乱しています。

何を考えているのか分からないことも多いでしょう。

子どもの立場になって考えてみると学校に行かない・行けないということは、とてつもなく子どもにとって重くのしかかるか、ということです。

それはきちんと学校に行った大人からは想像もできないことなのです。

それに立ち向かっている子どもに、時間を与えてあげる、つまりは子どもはいつか自分の力で動き出してくれることを信じてあげることです。

信じるということは、とても苦しいものなのかもしれません。

この先の未来には何の保障もないからです。

だからこそ、大人は「学校へ行きなさい」「勉強をしなさい」と子どもに言うのではないでしょうか。

少しでもそうすることで未来の選択肢を増やせるような気がしますよね。

それは、子どもが元気であって、かつ「学校に行くのが楽しい、学校は自分の役に立つ」と思っているのであればそれを後押ししてあげればよいことです。

ところが、そうじゃないんです。

ものすごいプレッシャー、不安、心配、孤独感、焦り、恐怖、絶望のようなものと内面では闘っているのです。

「学校に行かなくていい」「勉強も(今の段階では)しなくていい」と言うことは、勇気がいることです。
そう言うことで子どもが何もしなくなったらどうしよう、わがままになったらどうしよう、将来ひきこもりになったらどうしようと思わずにはいられないでしょう。

大人がそんな不安にとりつかれているのであれば、こう考えてみましょう。

この先を生きるのは、子ども自身なのだということ。

子どもが自分の人生をどうしていきたいのか、考えて決めていかなければ自分の人生を歩んでいるという感覚になるでしょうか。

これはブーメランのように大人にも降りかかってくる大問題です。

大人は自分の人生を歩んでいると、子どもに胸を張って言えるでしょうか?

大人がグラグラと揺れていて、人の顔色ばかりをうかがっていたり、無計画で無責任な行動ばかりしているのであれば、そんな大人を見て子どもも不安だらけになっていくでしょう。

毎日不平、不満の愚痴ばかりでは、人生が楽しいと思えなくなるでしょう。

自分の人生を歩むとは、自分に与えられた時間を自分でコントロールしている感覚をもって生活をすることです。

そういった感覚は、残念ながら学校生活では身に付けることができません。

身に付けずに大人になってしまった人は、ネットや他の誰かのためにすぐ時間を奪われてしまっていることでしょう。

残念ながら周りの人に影響を受けやすい人は、日本中に溢れています。

誰がどう思っているか、そればかり気にして生きている人がたくさんいるのです。

だから子どもたちも、他の誰かがどう思っているのかばかり気にしてしまいます。

自分の人生を自分で歩いている感覚を持っている人は、他人の言動に振り回されることは少ないのです。

「不登校」は、むしろ周りにいる大人に、どう生きていくことが自分にとって良いことなのか、つきつけられるものだと思います。

実は、周りにいるご家族にとっても、自分がどう生きるのかについて見つめ直すための時間が必要なのかもしれません。

そうしなければ、子どもと向き合うことができないのかもしれないと思います。