コラム-2000年から2003年まで

人生のゴールはひとつじゃない、 

だから、学びの場だってひとつじゃない!

今までになく混沌とした現代において、多様化の波に押され、寄るべなくたゆたう子どもたちは、様々な形で私たち大人にサインを送ってきています。

私たち保護者世代から見て、祖父母以前の時代には「富国強兵」「脱亜入欧」、父母の時代には「戦後の復興」といった、国を挙げてのスローガンが存在しました。子どもたちは、いっせいに黒板の方を向いていれば問題なし、とされてきました。

しかし、21世紀を生きる世代は、多様性に柔軟であらねばなりません。「学びの場」においても、第2、第3の選択が可能となってしかるべきでしょう。フリースクールやホームスクーリングの概念が広く認知される必要も感じています。また、不登校を「子どもの問題行動」ととらえるのではなく、「社会へのサイン」として受け止め、居場所をつくり、学校外の学びの場を整えることも、21世紀の大人の使命と言えるのではないでしょうか。

私たちは、現行の学校教育法という枠組みにとらわれず、現実が法をリードする社会にこそ希望が生まれると信じてはばかりません。

私たちの活動が、どういった誤解を受けやすいか、といったことは、過去6年の経験から学んでいますが、誤解を恐れずに、地球子屋の灯をともし続ける勇気を、NPO法人化にあたり、新たに誓約した次第です。皆様のご賛同を、心よりお待ちしております。

保護者 櫻田りえ

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2003年3月3日掲載

「NPOの学校設立容認」文科省方針について

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2003年3月3日掲載

「ボランティアスタッフとして参加して」

温かい季節の訪れを感じたシクラメンは花を散らせ、春を迎える準備をしてい ます。

ボランティアスタッフとして地球子屋に来るようになって2ヶ月。今は子どもたちと触れ合う中で彼ら彼女らの優しさ・協調性・向上心・甘えなどを感じています。

地球子屋のもっとも魅力的なところは、自分を見つめたり向き直すことが出来る場所と時間があり、その仲間が居てそれを全力でサポートしてくれるスタッフ がいる、ということだと思います。

子どもたち一人一人が何をどこまで考え、何を思っているのかわからないことの方が多いですが、それぞれのペースでそれぞれ進んでいるようです。

聞いたことのある方も多いと思いますが、フランスの哲学者であるデカルトは“われ思う、ゆえにわれあり”という有名な言葉を残しています。

自分の存在確認は考えることが出発点です、と いうことです。

些細なことでもいい、自分はこうしたい、身近な人間関係からでもいい、国内政治や国際社会に対する不満でも いい、自分の取り巻く環境などを背景にしながら地球子屋という良き環境を土台にして自分という存在をじっくり考えていって欲しいと願うとともに私自身も自己実現に励みたいと思うところです。

(菊川)

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2003年3月3日掲載

「お勉強」について

みなさんは「勉強」と聞いて、何を連想しますか。

小学生や中学生の人たちと話をしていると、勉強が嫌いという意見をよくききます。そのたびにわたしはこう答えます。勉強が嫌いなのではなくて、嫌いな勉強しかしてこなかったんだよ、と。

ではあらためてみんなに聞きます。「勉強ってなに?」みんなのあたまのなかには黒板やら、怖い先生やら、難しくて解けないドリルやらがうかんでいるのではないでしょうか。いいえそれらは勉強ではありません。黒板はただの黒板だし、ドリルはただのドリルです。先生もただの人間です。

では勉強とはなにか。わたしがいま感じていることを率直に述べますね。それは「言葉の意味を追求していくこと」です。さっきわたしはこの文章で「勉強ってなに?」って聞きましたね。今まで物事をそういう風に考えたことあったかな?なになにはこういうものって決め込んでいることってたくさんあるよね。そうじゃなくて、じぶんが「分かったつもりになっていること」を「ほんとにそうかな」と問い直すこと、それが大切なことなんじゃないかな。

たくさんあるよ。「こどもらしい」ってどんなかんじ?「普通の子」ってどんな子?「良い家族」ってどんな家族?「良い子」は誰にとって良い子?「将来の為」の将来ってどんな将来? まだまだあるよね。

そしてそんな風に物事をしっかりかんがえていくと「言葉の大切さ」にひとは気づきます。誰かに何かをきちんと尋ねたり、伝えたりしていくには言葉の力を借りなくてはなりません。

言葉の数が多い人というのはたとえていうならエンジンが大きい車です。そして言葉に敏感である人はよく整備され、磨かれた車です。そういう車は乗り心地がよく、疲れず、事故も起こりにくく長い距離を走れます。

人生という長くて険しい道を走るなら、そういう車に乗りたいですよね。あなたはあなたの知性という愛車をしっかり大切にし、楽しくドライブしてください。もちろん、どの道をどう行くか、どこで休憩するか、目的地で何をするかはみなさんの自由ですよ。

(四宮)

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2003年3月3日掲載

本の紹介「ゲームボード天国《パラダイス》01」

ボードゲームは日本では廃れてしまった。僕が子どもの頃(1980年頃)は、公園や空き地に行ったり、ときにはテレビゲームをしたりして遊んでいたが、友達との遊びの中には、ちゃんとみんなでワキアイアイと、いろんなボードゲームをやるという文化が確かにあった。でも今はおもちゃ屋に行っても、テレビゲームのソフトはあふれかえっているのに、ボードゲームは人生ゲームとモノポリーぐらいしか手に入らない。いつのまにか選択肢がこんなに少なくなっていた。

(補足すると、カードゲームに限って言えば、つい最近まで(今も?)子どもたちの間ではTCGが流行っていたわけだし、僕たちの頃よりは逆に活況を呈していたわけで、子どもたちがデジタルゲームばかりやっていたなんてことを言っているわけではない。またボードゲームが全くなくなっていたわけではない。いくつかはテレビゲームの画面の中で生きている。本物のボードゲームも、メジャーではなかったけれど、そのすばらしさを知る人たちによって遊ばれていた。日本でちゃんと楽しんでいた人たちが存在するからこそ、こういう本が出版できたわけだ。)

そんな日本の状況を打ち破るために出版された雑誌が、「ボードゲームパラダイス」だ。01というナンバーが示す通り、この本はその特別編集の創刊号である。

現在のボードゲームの主流はドイツゲーム。ドイツは、年間200以上もの新製品が発表され、15万人が集まるゲーム祭りを開いているアナログゲーム大国。最も売れている「カタンの開拓者」は累計300万個。日本のテレビゲームでもそんなに売れるものはめったに出ない。この本はドイツ製のボードゲームやカードゲームを中心に100個近くをきれいなカラーページで紹介している。雰囲気たっぷりのボード、箱絵、駒、カード。実際手に入れて遊びたくなってくる。知らないところで、こんな豊かで楽しい文化が育っていたことに驚いてしまう。

この本にはそのほか、ゲーム祭りなど最近のドイツゲーム事情の記事も載っている。町にはゲーム図書館があり、ゲームが社会の中に受け入れられ日常の中に溶け込んでいる様子はとってもうらやましく思う。本の最後にはゲームの入手方法も紹介している。残念だけどゲームは付録についてこない。

実は、この本を手に入れる前に、「カタン」の日本向けにアレンジしたものを地球子屋に持ってきた。みんなの評判は思った以上によかった。しばらくは毎日はまってやっていた。大人はこういうボードゲームも子どもだけの遊びだなんて考えるかもしれない。しかしやってみるとすぐ分かるけど、単純だけど奥の深いルール、これは子どもも遊べる大人のゲームだときっと納得できる。いや、大人とか子どもとか分ける必要がない。子どももすぐに大人と同じ交渉力を身に付けるし、大人はきっと子どもの頃の勘をとりもどすだろう。

ブームなど起きなくていいから、こういうボードゲームは日本にも根付いてほしいと思う。本の中には創刊を記念しての、有名なゲーム作者からの直筆のメッセージがちりばめられているが、どの言葉もみんな温かい。この本は日本のゲーム文化を変えていくかもしれない。

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2003年2月3日掲載

高丸さんからのメッセージ 2003年1月14日

地球子屋の農業ゼミの生産者ということで参加させてもらっている高丸といいます。

ところで我が家は自給自足を目指した小規模有機農業をしています。 土を通して、農作業を通して子供たちが農業を理解してもらえるならと思っていますが、始まった当初の感激から1年、2年と経つとその感激を維持してもらうのはなかなか難しいようです。

と、いいつつもこの私も年月が経つに連れて日常的な作業に追われ、いつの間にか農業をつまらない物にしている自分を発見しています。

農業は地味な職業です。特に有機農業では手作業による除草、収穫作業などがたくさんあります。しかし、その作業があってこそ収穫の喜びがあり、農産加工の楽しさがあると思います。

また、現在の農業は如何に生産技術で農業生産によって稼ぐかという事だけで農業の価値を判断しているところがあると思います。しかし、農業には生産技術と生活技術という2つの面があると思います。この生活技術というのは食であり住であり衣だと思います。

この生活技術は自給自足に欠かせないもので、味噌を作ったり、醤油を作ったり、・・・小屋を作ったり、多分昔のお百姓さんはこの生活技術を活用して生活していたと思います。

自分の必要としているものを自分で作る、多分今の世の中ではまったく逆の生き方かもしれません。自分で作ろうとすると時間とコストがかかる。市場で買うと安く即席に手に入る。しかし、そこには満足感はありません。喜びはありません。市場で手に入るものはブラックボックスです。

自分たちで食べるものは出来るだけ自分たちで作ろう、これは健康のためとともに生活の中で喜びを見出し満足感をえる1つの生きかただと思います。この満足感を地球子屋の子供たちとぜひ共有したいと思います。

(高丸和彦)

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2003年2月3日掲載

目標は「社会的自立」11年ぶり不登校対策

 

熊本日日新聞(2003.1.28)の記事より

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2003年2月3日掲載

<第二話> シルバの名まえの由来

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2003年1月21日掲載

<第一話> シルバとの出会い

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2003年1月16日掲載

学びの主役は誰?

教育現場にも、競争原理の導入が叫ばれ始めた。学力低下を案じ、また公立校への懸念が高まる中、私立校や、私塾の門を叩く保護者が増えている。

学校の週5日制導入に際しては、各家庭の事情を考慮するいとまもなく、まさにお上の号令一下、問答無用の思考がまかりと通った。

なぜか? 教職員は、疲れ切っているのだ。 経済効率最優先の価値観が台頭した20世紀、その波は各家庭にも押し寄せ、共働き世帯が当たり前になり、大人も子どもも、気ぜわしく時間に追われた。家庭教育の余裕は失われ、教育の責任の大半が、学校サイドに押し付けられた。

学校進行の責任の一端は、保護者側にもあったのだ。 学校は、実社会の縮図であって当然なのに、世知辛いこのご時世、せめて学校ぐらいはまともな場所であってほしい、そういった「無いものねだり」が、学校を聖域化し、教職員の世間ずれを生んだことは否めない。なにしろ、部活動の趣旨でさえ、「非行防止」が本音だったりするのだから。

公立から、私立へ、または私塾へ。しかしこの動きは、現場の主役が、教職員から保護者へと移行したに過ぎない。 「高いお金を払ってんだから、しっかり勉強すんのヨ」

親に叩かれる子どものお知りが痛々しい。 ここで改めて、学びの主役は誰なのか、と問いたい。 よかれと思って選んでやった服が、その子に合わなかったらどうするの?

窮屈な思いをさせてでも、その高価な服を着続けさせますか? 試着は何度でもさせよう。そして、その着心地は本人に聞こう。 着心地のいい服、それが地球《テラ》ッ子たちのブランドだと、私は信じている。

(RIE)

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『私が学校に行かなかった理由、そして高校に行く理由』 2001年3月

まず、なぜ学校に行かない理由を書こうと思ったのか。
それは最近学校に行き、友達と遊び・話をしたなかで感じた事があったからだ。
ふと「学校もあと少しだし卒業したらもう行きたくても行けないしなぁ・・」と、思い普通に着たくもない制服を着て、普通に門をくぐり、普通に遅刻して授業中の教室に入った。
そこで1日過ごして感じた事とは、まず授業中だというのに、一部の人たちは席を立ち他の人たちの所へ行き大きな声で喋っていて「うるせぇ・・」と、思いうるさいながらも無事、授業も終り休み時間に入った。そこで同じクラスの人たちが、気軽に話し掛けてくれて「結構忘れられてないんだな」と、安心した。

そして、何日か学校に行っている内に友達と話をしている中で、私は友達に「なぜ高校に行くの?」と、聞いた。友達からは、この様な「皆が行けというから」・「皆が行くから」と、いった感じの答えが帰ってきた。そして久しぶりに友達と遊び、楽しい時間を過ごし、いろんな話をした。その会話の中で「なぜ学校に行くの?」と、聞いた。そして「暇だから。学校に行かないとする事がない。」と、いった感じの答えが帰ってきた。私の学校でのイメージ等も聞いてみた、答えは「不良っぽそう」・「いつも遊んでばかりいる」要するに楽天的に日々過ごしているかの様なイメージがついていた。しかし誤解してほしくない。私は、学校に行ってない間、楽天的に過ごした事など無い。今までずっと悩み、苦しんで来た。そして、遊びたいから学校に行きたくないなんてことは思ったことも無い。

私には、学校に行かない理由、そして行きたくても行けなかった理由がある。私は、今年高校に進学する、その行動にも「みんなが行けというから」・「皆が行くから」という下らない理由ではなく、私自身の理由がある。私から見たら、とても下らない理由で学校に行き、だらだらと下らない時間を過ごし、下らない理由で高校に進もうとしている。私は、皆から聞きたい。今の自分の行動に、自分だけの理由があるのか?なぜ学校に行き、なぜ高校に行くのか?そして、その過程を経た先に何を望むのか?私は彼方たちの事を知らないし、誤解している所も沢山あると思う。だからこそ、その誤解している所に反論してほしい!でも、自分のやることも解らず他人に決めてもらうような、どうしようもない人間と思われたままでいいのなら反論してくれなくてもかまわない。しかし、そう思われるのが嫌で、自分の事ぐらい周りに流されず決められるというのなら自分がどういう人間なのかを聞かせてほしい!と、思い、その前に私の誤解を解いておこうと、この『私が学校に行かなかった理由、そして高校に行く理由』を書こうと思ったのです。

私は、小学校4年生の運動会が終った頃から学校に行かなくなり始めた。

なぜ学校に行きたくなかったのだろう・・その当時は、ただ学校の先生が嫌いだった。先生の雰囲気が、私の嫌いな母親の雰囲気に似ていたからだ。

私が保育園に通っていた頃には既に、父親は居らず母子家庭だった。

父親の顔なんて全然覚えていない。そんな事は全然気にはならなかったが、別れてすぐだったせいか、いつも母親はピリピリしていて私以外の家族と喧嘩していた記憶しかない。私は、大きな怒鳴り声の中ずっと怯えて泣いていたような気がする。あまり笑っていた記憶も無い。

私は、母親や家族に笑っていて欲しかったし、いつも側に居て欲しかった。しかし仕事もあったし、疲れていたというのもあっただろうからそんな願いが叶うはずも無く、いつも一人だった気がする。そのせいかどうかは分からないが、今でも母親に限らず誰かに怒鳴られたり、なにかを叩きつけるような音を聞くと死ぬほど怖くなって涙が出てくる。ちょうどその時の先生も今にも怒鳴り出しそうな雰囲気が嫌だったのを覚えている。

学校に行かなくなっていろんな事を考え始めた。私はなんなんだろう……・・とか、なんのために、誰のために生きているのだろう・・とか、そんなことを考えている間も、親は学校に行けだの、嫌な顔して愚痴ったり、手伝いをしなかったら怒鳴ったりで、うんざりだった。

小学校五年生の頃、私は自殺しようとした。自分自身の存在がわからなかった。父親から手紙の一つも電話一本も無かった、母親はいつも機嫌が悪かった、私が居るから機嫌が悪いんじゃないかと思っていた。私は必要じゃない存在だと思っていた。私が消えればいい、そう思って包丁を腹に突き立てて死のうとした・・しかし怖かった。死ぬ事ではなく、ただ痛さが怖かった。その怖さに勝つ事が出来ず結局死ねなかった。しだいに親や家族への笑っていて欲しいとか、側に居て欲しいという思いも変わってきて、なぜ笑ってくれない!なぜいつも側に居てくれない!と思うようになり、怨み、憎しみ、最終的にはこんなにも私を苦しめる存在ならば消してしまえばいい・・殺したい!!!と思っていた。しかしそんな醜い事を考えている醜い自分が嫌で小学5年の時から今までの間に何度も死のうとした・・結局、全て痛さが怖くて自分の体を傷つける事は無かった。

それと痛さ以外にも死ねない理由があった。私の母は、私を産む前に1度流産をしている。母は私に「この子が産まれていたら、あなたは産んでない」と、言った事があった。私はこれを聞いて、私の命は自分だけのものじゃない・・見た事も無い兄と命を共有しているのだと思えた。兄は私に命を分け与えてくれた、そして優しさまで与えてくれた。私にとっては、見た事も無い兄の存在だけが唯一信頼できた。だから自分を殺す事は、私がもっとも信頼している兄まで殺してしまう事になる。そう思うと死のうにも死ねなかった。

しかし、どんなに苦しんでいても家の中の状況は、ほとんど変わらなかった。親はやはり仕事で、疲れているようで笑いはしなかった。あいも変わらず怖い顔して愚痴をこぼし、時にはちょっとした事で怒鳴っていた。そうして家族へ対する憎しみはさらに膨らんでいった。そんな中、兄の存在が邪魔になっていた・・・兄の存在というよりは自分の中の優しさが邪魔になっていた。私を苦しめる人間を殺したくて殺したくて殺したくて!殺したくて!!殺したくて!!!・・どうしようもない殺意の中で「殺したくない」と、思う矛盾する気持ちがあった。人を殺したくても殺せないこの気持ちを幾度と無く殺そうとした。もっと残酷に、もっと冷酷になりたい。感情も表情いらない。そう思う中でも、やはり矛盾する気持ちがあった。「もっと笑っていたい。いつでも笑えるようになりたい」、自分の中での矛盾が一番辛い・・。辛い時に「助けてくれ」と頼れる人などいなかった。家族は、私が苦しんでいる事にさえ気付いていない。むしろ怠けているとしか見ていなかった。なぜ誰も助けてくれない!私は、私を助けてくれない全ての存在を憎んだ。私の周りにある全てを壊したいと思った。

友達であっても見ず知らずの他人であっても、その思いは向けられた。そうして全ての人間が信用できなくなっていた。

私は、学校に行かなかったというよりは、学校には行きたくても行けなかった。なんというか、怖かった。他の人間が何気なく笑っているのが、醜い自分自身を笑っているようで嫌だった。中学校になって制服を着なければ、学校には入れなかった。私は制服が嫌いだ、自分自信が沢山いるようで嫌だった。制服を着ること自体はあまり気にならない、同じ制服を着た他の人たちの後ろ姿が自分のように思えた。要するに自分の存在が、否定されているように思えた。自分が消えてしまいそうで怖かった。

友達を傷つけてしまいそうで怖かった。人を殺さない自信なんてなかった。それに1年ほど行かなければ、前は仲がよかった友達とも話しづらくなっていた。友達などその程度のものだと思い、友達を信用できない自分が嫌だった。本当は学校に行きたかった。しかし、醜い自分が笑われているようで、自分自身が無くなりそうで、友達を信用できず傷つけてしまいそうで、怖くて行けなかった。

私が学校に行かず、外にも出れず家に閉じこもっていた、中学1年の夏休みが終った頃フリースクールと出会った。フリースクールといっても、行く所の無かった私にとっては遊び場のような存在だった。行き始めて最初の頃は、徹底的に遊んだ。毎日毎日、何も考えずとにかく遊んでいた。しかし、少しずつ不安を感じ始めていた。学校に行っている人たちは勉強しているのに、私は何もしていない・・ただ毎日遊んでいるだけだった。不安を感じ始めてからは、どんなに遊んでも思いっきり楽しめなかった。それからは、ただ遊ぶだけではなく。いろんな事に参加してみた。

そうして、学校では出会えないような色々な人たちと出会い、学校では出来ないような色々な経験をしてきた。色々な出会いや経験の中で、応援してくれる大人達がいて、1年ほど会わなくても変わらず遊べる友達ができ、自分自身を探し出し、夢を探し出し、なんの為に生きるのか、誰の為に生きているのかも探し出した。

今の学校では絶対に手に入らないものを沢山手に入れた。どれも大切なものだが、その中で、私はあるピアニストのソロコンサートを聞きに行った。その人の弾くピアノの音色が、とてつもなく美しく感じた。私は、その美しいものを自分で創り出せるようになりたいと思った。そして、その美しいと感じたものを創り出せるようになるのが、今の所の目標(夢)である。

最近、私はまた学校に行き始めた。なぜ行きたくないと思っていた学校に行こうと思ったのか・・・私は、無くなりそうで怖かった自分自身をはっきり見つけ出した。醜い自分自身はまだ自分の中にある。ずっと笑っていたいと思う反面、誰かを何度も何度も突き刺して返り血を浴びて笑っている自分を想像する時がある。私はその矛盾から目をそらしていたような気がする。「笑っていたい」と、思う自分と「人を殺したい」と、思う自分のどちらが本当の自分自身なのか考えている時に、小学校の時、仲がよかった友達の言葉を目にした。それは、小学校を卒業する時にクラスのみんなに一言づつメッセージを書いて、まとめて送るという物があった。いろんな言葉があった、その中でも「いつまでもその優しさを忘れずに…」という言葉。それを見た時に、醜い自分が自然と薄れていった。そして、学校の友達と笑って遊びたい。これからもずっと笑っていたい。なにより、友達を信じたい・・そう思えた。それと、今までは1人の時に出てくる疑問ばかりを考えてきた。その疑問もほとんど自分の中で答えが出た。そうして、次に出てきた疑問は、私にとって他の人間の存在はなんなんだろう?と、いう疑問と1人の時に出てくる疑問ではなく、集団の中で出てくる疑問を考えてみたい!というものだった。これが最近、学校に行ってみようと思った理由だ。

今年、私は高校へ進む。周りの人達が行くからでは無い。なんにせよ、何かを創り出すには、知識は不可欠だと思ったからだ。それだけではなく、新しい出会いも求めたし、いろんな世界を見てみたいと思った。私は、NHK学園という通信制の高校を選んだ。それも自分で決めた事だ。通信制なら学校に縛りつけられる時間が少ないからいろんな事ができる。アルバイトをしたり、いろんな事を考えたり、音楽を聞いたり練習したり、徹底的にできる時間があるからだ。その上、知識に高校卒業の資格まで手に入れられる。

フリースクールで、いろんなものを手に入れたように、高校でもいろんな事を考え、いろんなものを手に入れたい。これが私の高校へ進もうと思った理由。そして、ここまでが『私が学校に行かなかった理由、そして高校に行く理由』です。

これが私の学校に行かない理由、そして高校へ行く理由。私は、自分のやる事ぐらい自分で探して自分で決められる。彼方達はどうだろうか? 私から見れば自分のやることさえ自分で決められてないように思える。皆から聞いたわけでは無いが、なぜ学校に行くのか? なぜ高校に行くのか?と聞くと、誰かに、決められたかのように、同じような答えしか返ってこない。その答えを聞いていると非常につまらなくなる。

その言葉は、自分自身の言葉ではない。私は自分自身の言葉で、学校に行かない理由などを書いた。彼方達にそれができるだろうか? 私は、皆とその他大勢としてではなく、個人として友達になりたいと思った。だからこそ、彼方達に自分自身を持って欲しいと願ったのだ。

もう1度、最後に聞きたい。なぜ学校に行き、なぜ高校に進むのですか? 他にも行く場所なんていくらでもある。学校に行く事だけが全てではないし、学校に行く理由や、学校に求めるものが無いならば学校に行かなければいい。なにも勉強したり、友達と遊べるところは学校だけでは無い。自分自身のやりたい事が無いならば、見つける為にいろんな事をして、いろんな人に出会い、探していく事も、学校の勉強なんかよりも大切だと私は思うのです。それに高校なんて、行こうと思えばいつでもいけますしね。

それともう1つ、これを読んでくれた人達へお願いがあります。私は皆にもっと笑っていて欲しいのです。辛い時や悲しい時は、助けてくれと涙を流す事もあるかもしれなし、歯を食いしばる事もあるかもしれない。けれど、せめてそれ以外の時くらい心の底から笑っていて欲しいと、切に願うかぎりです。

2001年3月5日 ヒロフミ

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「将来の夢」 2000年3月

将来の夢、今持っている夢はゲームデザイナーの職業又は包丁・刀鍛冶になることです。それを、目標として今を生きている。何故なりたいかと言うと、只単純に言えば「楽しいから」の一言。

初めてゲームと出会ったのは小学一年生の時に皆がスーパーファミコンを持っているから僕も欲しいと言うわがままだった、けれどその当時はとても高くて親に「子供の遊ぶ物じゃない」と言われ買ってもらえなかったがスーパーではない普通のファミリーコンピューターを買ってもらった(今でも大切に取ってある)。

この時からゲームにのめり込むようになって、その当時はゲームデザイナーという職業を知らなかったせいか夢は警察官だった。

けれどそれから二年後(小学三年生)にアーケードゲームまぁようするにゲームセンターなどにある対戦格闘ゲームを知って近くのゲームがある店に行き始めてやってみて「めっちゃおもろい」(心の声)と思いその日からしょっちゅう親の目を盗んではアーケードゲームをやりに行っていた。

ある日ゲームをやっていると見知らぬお兄さんから声をかけられ色々とゲームに関する知識を教えてもらっていた。そして、いつしかその見知らぬお兄さんと友達になりそれからも色々と教えてもらった(今でも会ったときは色々教えてもらっている)。

それからは、家庭用ゲーム機が盛んに発売されるようになり代表的なのはセガサターン・プレイステーション・ゲームボーイ・ニンテンドウ64等で、母に上手いこと言って家庭用ゲーム機通称プレステを買ってもらった時からはアーケードゲームだけでなく家庭用ゲームにも注目するようになった。

一番最初に買ったゲームソフトは【鉄拳3】という結構有名な対戦格闘ゲームである(鉄拳3豆知識 出て初めの頃の鉄拳3はアーケードでは人気はそれ程でもなかったが家庭用で発売され爆発的に売れてから有名になりアーケードでも人気が出始めたらしい)

プレステを買う前まではアーケードゲームをやっていたせいか対戦格闘ゲームを買ったのだと思うのだが、流石によく出来たゲームでその時は3Dの対戦格闘というのが余り無かったらしくとても新鮮に感じたせいかとてもやりこんでしまった(^-^ゞ (ゲーム豆知識 3D対戦格闘ゲームの初代はバーチャファイターというセガのゲームなのよ♪)

その鉄拳3と一緒に買ったもう1つのゲーム【パラサイトイヴ】というアクションRPGのようなゲームを買ってやっていたらグロテスクなシーンとかがあって怖くて夜にはあまり出来なかった(こう見えても結構小心者なのさ!!)だけどまぁやっているうちに慣れたらしく順調にクリアしちゃったんだけどね♪最後の方はめんどくさくて友達にしてもらっちゃったけど。

まぁそんな感じでゲームに魅せられていって今では世界一楽しいゲームを作ってやる!!なんて思ってます。そして、ゲームデザイナーとしても誰もが知っているぐらいになる予定です(予定だから本当になれるの?とかいう質問は一切受け付けません)。

包丁・刀鍛冶になりたいというのはこれ以上は長くなりそうなのでまた今度機会があったら書きますので楽しみに待っていてください。

後今はあんまり学校には行ってないけどちゃんと目標を持って色々と学校ではできないいろんな事をやっています。最近ではフリースクール地球子屋(テラコヤ)という所で【翼をください】という演劇の手伝いなど、ベーコン・生ハムを最初から作って食べたり(結構これはきつかった)他にも本当にいろんな事をやっています。

地球子屋の友達ともゲームという共通点があったから結構早く仲良くなれた♪僕は、夢は実現させるためにあると思うので、夢を見るだけで終わらせずに夢を実現するためにこれからも努力するつもりです。

ヒロフミ

(↑この文章は、中学校で14歳になる2年生時に行われる「立志式」を記念して作成される文集に書いたものです。)

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