コラム-栗原寛志さん(登山講師)からのメッセージ(2007年4月)

●登山プロジェクト 登山案内役 栗原さんからの特別寄稿!

 栗原さんは、「里山巡礼」「脊梁50名山」(熊日の本)に執筆・編集されている登山のエキスパートです。

御池遭難から25 周年

私がたどり着いた山歩きの楽しみ

 私が山歩きを始めて、30年ほどになります。山歩きの楽しさについては、さまざまなメディアでいろいろと語られていますので、ここで改めて触れるつもりはありません。そこで、私自身が山歩きの魅力に開眼した時の話をしてみましょう。

 25年ほど昔のことです。私はそのころから単独行で山歩きをしていました。山の経験が浅いにもかかわらず、あまり人づきあいが得意でなかったために、多くのひとたちと集団行動をとるのができなかったせいです。 ある年の夏、私は一人で五家荘の白鳥山(標高1638.8m)に登り、山頂直下の御池(みいけ)で道に迷いました。白鳥山山頂部の御池は、自然林の中にドリーネ状の高地湿原があるという不思議な場所です。その日、白鳥山には山霧が出ていました。私は、御池を一回りしたところで、自分が登ってきた方向を見失ってしまいました。だれもいない五家荘の山奥で、完全にパニック状態となってしまいました。

 そこでどうしたかというと、山頂の脇を横切る山道を探し当て、ひたすらその山道を下ったのです。なぜ、山頂を迂回する山道があるのか疑問にも思わず、ただただ人が通った踏み跡をたどって、山頂から遠去かれば、いつかは登山口に戻れると思い込んでいたわけです。結果的には、私がずんずん下った山道は県境を越えた宮崎県椎葉村につながっていました。1時間以上も山道を下ると、ようやく林道に出ました。もちろん、見知らぬ林道です。たまたま近くに山仕事の人がいました。「ここはどこですか」と間の抜けた質問をすると、山仕事の人たちは「こばやし」だと言います。

「こばやし?」

そこが椎葉村向山の小林集落(当時2軒の人家がありました)だということは、熊本に戻ってから知ったことになります。

 その夜は、小林集落の民家に泊めてもらい、風呂に入り、食事をいただきました。その家の娘さんに足裏にできた血豆に赤チンを塗ってもらい、ビールまでご馳走になりました。このまま、養子になってもいいぐらいの歓待を受けたわけです。 翌朝、椎葉側から白鳥山に登り、五家荘側の登山口に置いていた車のもとまで戻ってきました。 白鳥山での失敗の後、私は山が嫌いになったのでしょうか。とんでもありません。 家族や知り合いには迷惑(・・)を(・)掛けた(・・・)かも(・・)しれません(・・・・・)が(・)、山の素晴らしさと怖さを知ることができたのです。しかも、どんな山であっても、麓で暮らす人々の精神や心とは無縁でないことも、おぼろげながら感じることができたのです。

 それから山に入る時には、国土地理院発行の2万5000 分の1地形図とコンパスを必ず持参するようにしました。地図とコンパスがあれば、道のないルートをたどって山頂をめざすことが可能なことにも気づいたのです。 山歩きの楽しみ方は人それぞれです。私は、道のない尾根や谷をたどって山頂をめざすという、ひねくれた楽しみ方に到達してしまいました。 地球子屋のスタッフ、メンバーとの山行きも、そろそろ1年近くになろうとしています。今年の夏ごろからは、そろそろ、みなさんにもそんな楽しみ方を共有してもらおうかなと考えているところです。いかがでしょうか 里山通信社 栗原寛志

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